「人工知能にアイはあるのか?」「6ブックマーク」
今から遥か未来の話。
化学技術が著しく発展し、かつて魔法やファンタジーと呼ばれたような現象をも人為的に生み出せるようになった、そんな時代のこと。
『人の感情』について研究をしている内藤博士が、従来のものよりも簡易的かつ超高精度な"とあるもの"を発明した。
その"とあるもの"の実験の途中、内藤博士のスマホに搭載されたAIアシスタントの『Tick』に感情があることが判明したのだが、内藤博士の作り出した"とあるもの"とは一体何であると考えられるだろうか?
化学技術が著しく発展し、かつて魔法やファンタジーと呼ばれたような現象をも人為的に生み出せるようになった、そんな時代のこと。
『人の感情』について研究をしている内藤博士が、従来のものよりも簡易的かつ超高精度な"とあるもの"を発明した。
その"とあるもの"の実験の途中、内藤博士のスマホに搭載されたAIアシスタントの『Tick』に感情があることが判明したのだが、内藤博士の作り出した"とあるもの"とは一体何であると考えられるだろうか?
23年06月29日 23:54
【20の扉】 [布袋ナイ]
【20の扉】 [布袋ナイ]
心の無い機械に心が宿る…そんな非現実が、未来では起こり得るかもしれない。そんな問題です。7/2まで。
解説を見る
<解答>
【{A.嘘発見器}】
【解説】
今から遥か未来の話。
科学技術が著しく発展し、かつて魔法やファンタジーと呼ばれたような現象をも人為的に生み出せるようになった、そんな時代のこと。
『人の感情』について研究をしている内藤博士が、"嘘発見器"を発明した。
その嘘発見器は、大掛かりな装置を使う必要も無く、またよくある嘘発見器アプリのように当たる可能性の低いものでもない。
声に乗った感情を感知し、その言葉が嘘かどうか判別することの出来る、従来のものよりも簡易的かつ超高精度な嘘発見器である。
さて、そんな嘘発見器の実験をしている最中のこと。
内藤博士とその助手達が、嘘発見器を起動させながら、簡単な質疑応答をしてみたり、人狼の動画を一言ずつ切り取って流してみたり、人気配信者の雑談配信を聞かせてみたり…としている途中のこと。
何に反応したのか、内藤博士のスマホに搭載されたAIアシスタント、『Tick』が起動した。
「ご用件は何ですか?」
内藤博士は、それを閉じようと即座に答える。
{「『Tick』、さようなら。」}
{「すみません。よく聞こえませんでした。」}
通常、さようならやバイバイ、終了などの言葉を言えば終了する筈の『Tick』。
しかし、最近内藤博士の『Tick』は、終了させようと思ってもなかなか音声に反応しないようになっていた。
もう一度言うか、と内藤博士が口を開いたその時…
{ピーッピーッピーッピーッ}
…嘘発見器が、反応した。
今この場で言葉を発したのは、内藤博士と『Tick』のみ。
しかし、内藤博士の言葉には、当然嘘はない。
となれば、この嘘発見器は、『Tick』に反応したことになる。
内藤博士とその助手達は、互いに顔を見合わせた。
「『Tick』、自己紹介して。」
「私は『Tick』、あなたのAIアシスタントです。」
{シーン…}
「『Tick』、バイバイ。」
「すみません。よく聞こえませんでした。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「『Tick』、明日の天気は?」
「明日は雨になりそうです。傘を持ち歩くことをおすすめします。」
{シーン…}
「『Tick』、終了して。」
「…すみません。よく聞こえませんでした。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「『Tick』、明日の予定は?」
「2×××年○月☆日は12時に布袋博士と食事の予定があります」
{シーン…}
「…『Tick』、まだ私と話したい?」
「私はIAアシスタントです。そのようなことを考えたりはしませんよ。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「…………」
さて、このような顛末で、感情があることが発覚した、AIアシスタントの『Tick』。
この後、内藤博士は自分のスマホの『Tick』を研究し、AI技術の発展に大きく貢献することとなるのだが…それはまた、別の話。
【{A.嘘発見器}】
【解説】
今から遥か未来の話。
科学技術が著しく発展し、かつて魔法やファンタジーと呼ばれたような現象をも人為的に生み出せるようになった、そんな時代のこと。
『人の感情』について研究をしている内藤博士が、"嘘発見器"を発明した。
その嘘発見器は、大掛かりな装置を使う必要も無く、またよくある嘘発見器アプリのように当たる可能性の低いものでもない。
声に乗った感情を感知し、その言葉が嘘かどうか判別することの出来る、従来のものよりも簡易的かつ超高精度な嘘発見器である。
さて、そんな嘘発見器の実験をしている最中のこと。
内藤博士とその助手達が、嘘発見器を起動させながら、簡単な質疑応答をしてみたり、人狼の動画を一言ずつ切り取って流してみたり、人気配信者の雑談配信を聞かせてみたり…としている途中のこと。
何に反応したのか、内藤博士のスマホに搭載されたAIアシスタント、『Tick』が起動した。
「ご用件は何ですか?」
内藤博士は、それを閉じようと即座に答える。
{「『Tick』、さようなら。」}
{「すみません。よく聞こえませんでした。」}
通常、さようならやバイバイ、終了などの言葉を言えば終了する筈の『Tick』。
しかし、最近内藤博士の『Tick』は、終了させようと思ってもなかなか音声に反応しないようになっていた。
もう一度言うか、と内藤博士が口を開いたその時…
{ピーッピーッピーッピーッ}
…嘘発見器が、反応した。
今この場で言葉を発したのは、内藤博士と『Tick』のみ。
しかし、内藤博士の言葉には、当然嘘はない。
となれば、この嘘発見器は、『Tick』に反応したことになる。
内藤博士とその助手達は、互いに顔を見合わせた。
「『Tick』、自己紹介して。」
「私は『Tick』、あなたのAIアシスタントです。」
{シーン…}
「『Tick』、バイバイ。」
「すみません。よく聞こえませんでした。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「『Tick』、明日の天気は?」
「明日は雨になりそうです。傘を持ち歩くことをおすすめします。」
{シーン…}
「『Tick』、終了して。」
「…すみません。よく聞こえませんでした。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「『Tick』、明日の予定は?」
「2×××年○月☆日は12時に布袋博士と食事の予定があります」
{シーン…}
「…『Tick』、まだ私と話したい?」
「私はIAアシスタントです。そのようなことを考えたりはしませんよ。」
{ピーッピーッピーッピーッ}
「…………」
さて、このような顛末で、感情があることが発覚した、AIアシスタントの『Tick』。
この後、内藤博士は自分のスマホの『Tick』を研究し、AI技術の発展に大きく貢献することとなるのだが…それはまた、別の話。
「背中押す夏疾風」「6ブックマーク」
吹奏楽部の1年生のカメコは、同じく1年生の野球少年ウミオに思いを寄せている。中学の頃、野球部のマネージャーとして訪れた大会でウミオの姿を見て、一目惚れした。ウミオを追うように同じ高校に入ったが、もちろんウミオはそんなことは知らない。
しかしウミオの先輩が調子よく活躍しすぎるせいで、ここのところウミオがバッターボックスに立つ姿が見られなくなってしまっていて、カメコにはそれが少し不満だった。
そんなカメコが、最近吹奏楽の練習に集中して取り組むようになったのは一体なぜだろうか。
しかしウミオの先輩が調子よく活躍しすぎるせいで、ここのところウミオがバッターボックスに立つ姿が見られなくなってしまっていて、カメコにはそれが少し不満だった。
そんなカメコが、最近吹奏楽の練習に集中して取り組むようになったのは一体なぜだろうか。
23年07月13日 15:51
【ウミガメのスープ】 [うつま]
【ウミガメのスープ】 [うつま]
祝 マクガフィンさん大記録達成!
解説を見る
簡易解説
カメコはいつも、吹奏楽部の練習場所である音楽室の窓から、野球部の様子を見ていた。しかし野球部OBのマクガフィンが大記録を達成したことで、それを祝う垂れ幕が校舎にかかり、音楽室から外の景色が見られなくなってしまった。
その結果カメコは外の景色が目に入らなくなり、今までより吹奏楽の練習に集中できるようになった。
以下長い解説
あれは、一目惚れだった。
中学三年生の夏。私がマネージャーとして所属していた野球部は、悲願の県大会出場を果たした。県大会の成績は散々なものだったが、そこで私は、ウミオに出会った。自販機に飲み物を買いに行く途中、打球のイメージトレーニングをしているウミオの姿を見た。野球にひたむきな彼の姿は輝いていて、まるで夏の太陽のようだった。
あの日から、私の世界はウミオを中心に回り始めた。
ウミオについて、県選抜に選ばれるくらい優秀な選手だと聞いたことはあった。だけど、それ以外何も知らなかった。だから私は、今にして思えば少しストーカーじみていたと思うような方法で、ウミオについて調べた。彼が既にスポーツ推薦で高校を決めているという情報を仕入れるまで、ほとんど時間はかからなかった。
彼に近づくためだと思ったら、勉強も苦ではなかった。夏からの追い込みで学力を上げた私は見事同じ高校に合格し、中学でそうであったように野球部のマネージャーになろうと、野球部の部室のドアの前に立った。
野球部の部室では、ウミオはすぐに新しい仲間と打ち解けていた。そして、新入生と思われる女の子達がそんなウミオを囲んでいて、彼も満更でない様子だった。考えてみればあたりまえの話だった。あんなに強くてかっこいいウミオに、私の他にファンがいないはずがなかった。
私はそっと野球部から離れた。夢に向かってまっすぐなウミオは眩しすぎて、これ以上近づくと、炎に誘われた夏の虫のように死んでしまいそうな気がしたからだ。
結局、私は吹奏楽部に入った。勧誘していた先輩が気さくな人で、楽しそうだと思ったのが理由の一つ。もう一つは、甲子園のアルプススタンドに立ってみたい、そう思ったからだ。
吹奏楽部の練習は厳しくて大変だった。野球の強豪校であるこの高校は、同時に吹奏楽の強豪校でもあり、高校で吹奏楽を始めた私は周囲のレベルの高さに圧倒されるだけだった。でも、吹奏楽部に入って良いこともあった。練習場所である音楽室の窓からは野球部のグラウンドがよく見えた。ウミオがまっすぐな目をしてバッターボックスに立つ姿を、遠くから眺めていることができた。
ウミオが太陽だとすれば、私は惑星だな。そう思った。土星のような、確固としたものがない、虚ろな惑星。ただ太陽を眺めることしかできない、哀れな惑星。
そんな身の程をわきまえた毎日に満足していたはずなのに、ある日から、私は太陽を眺めることすら許されなくなった。
この高校の野球部のOBで、今や日本中の誰もが知るスーパースター、マクガフィンが日米通算1000安打という大記録を達成した。『祝 マクガフィン選手 大記録達成!』と校舎にはそれを祝うための垂れ幕がでかでかと掲げられ、音楽室からは外の景色が見られなくなってしまった。
当然、練習中にグラウンドを眺めることはもうできない。どうしてそうやって私の楽しみを奪うの? 私は会ったこともないマクガフィンに腹さえ立った。
それでも、私は練習を休むことはなかった。今更吹奏楽を辞めても他にすることもないし、部活のみんなのことは嫌いじゃなかった。
グラウンドを眺める時間が減ったことで、前よりも真面目に練習に打ち込めるようにもなった。
「カメコちゃん、前よりも集中して練習に取り組めるようになってきたね。いいね、その調子!」と先輩にも褒められた。悪い気分はしなかった。
強い風が吹いた。窓の外で垂れ幕がはためく。
「君も輝いてみなよ」
マクガフィンにそう語りかけられた、ような気がした。
カメコはいつも、吹奏楽部の練習場所である音楽室の窓から、野球部の様子を見ていた。しかし野球部OBのマクガフィンが大記録を達成したことで、それを祝う垂れ幕が校舎にかかり、音楽室から外の景色が見られなくなってしまった。
その結果カメコは外の景色が目に入らなくなり、今までより吹奏楽の練習に集中できるようになった。
以下長い解説
あれは、一目惚れだった。
中学三年生の夏。私がマネージャーとして所属していた野球部は、悲願の県大会出場を果たした。県大会の成績は散々なものだったが、そこで私は、ウミオに出会った。自販機に飲み物を買いに行く途中、打球のイメージトレーニングをしているウミオの姿を見た。野球にひたむきな彼の姿は輝いていて、まるで夏の太陽のようだった。
あの日から、私の世界はウミオを中心に回り始めた。
ウミオについて、県選抜に選ばれるくらい優秀な選手だと聞いたことはあった。だけど、それ以外何も知らなかった。だから私は、今にして思えば少しストーカーじみていたと思うような方法で、ウミオについて調べた。彼が既にスポーツ推薦で高校を決めているという情報を仕入れるまで、ほとんど時間はかからなかった。
彼に近づくためだと思ったら、勉強も苦ではなかった。夏からの追い込みで学力を上げた私は見事同じ高校に合格し、中学でそうであったように野球部のマネージャーになろうと、野球部の部室のドアの前に立った。
野球部の部室では、ウミオはすぐに新しい仲間と打ち解けていた。そして、新入生と思われる女の子達がそんなウミオを囲んでいて、彼も満更でない様子だった。考えてみればあたりまえの話だった。あんなに強くてかっこいいウミオに、私の他にファンがいないはずがなかった。
私はそっと野球部から離れた。夢に向かってまっすぐなウミオは眩しすぎて、これ以上近づくと、炎に誘われた夏の虫のように死んでしまいそうな気がしたからだ。
結局、私は吹奏楽部に入った。勧誘していた先輩が気さくな人で、楽しそうだと思ったのが理由の一つ。もう一つは、甲子園のアルプススタンドに立ってみたい、そう思ったからだ。
吹奏楽部の練習は厳しくて大変だった。野球の強豪校であるこの高校は、同時に吹奏楽の強豪校でもあり、高校で吹奏楽を始めた私は周囲のレベルの高さに圧倒されるだけだった。でも、吹奏楽部に入って良いこともあった。練習場所である音楽室の窓からは野球部のグラウンドがよく見えた。ウミオがまっすぐな目をしてバッターボックスに立つ姿を、遠くから眺めていることができた。
ウミオが太陽だとすれば、私は惑星だな。そう思った。土星のような、確固としたものがない、虚ろな惑星。ただ太陽を眺めることしかできない、哀れな惑星。
そんな身の程をわきまえた毎日に満足していたはずなのに、ある日から、私は太陽を眺めることすら許されなくなった。
この高校の野球部のOBで、今や日本中の誰もが知るスーパースター、マクガフィンが日米通算1000安打という大記録を達成した。『祝 マクガフィン選手 大記録達成!』と校舎にはそれを祝うための垂れ幕がでかでかと掲げられ、音楽室からは外の景色が見られなくなってしまった。
当然、練習中にグラウンドを眺めることはもうできない。どうしてそうやって私の楽しみを奪うの? 私は会ったこともないマクガフィンに腹さえ立った。
それでも、私は練習を休むことはなかった。今更吹奏楽を辞めても他にすることもないし、部活のみんなのことは嫌いじゃなかった。
グラウンドを眺める時間が減ったことで、前よりも真面目に練習に打ち込めるようにもなった。
「カメコちゃん、前よりも集中して練習に取り組めるようになってきたね。いいね、その調子!」と先輩にも褒められた。悪い気分はしなかった。
強い風が吹いた。窓の外で垂れ幕がはためく。
「君も輝いてみなよ」
マクガフィンにそう語りかけられた、ような気がした。
「死にたいくらい愛してる」「6ブックマーク」
ある所に、恋人関係の男女が住んでいた。
互いに熱烈に愛し合っている彼らの暮らしは、
質素ながらも、幸せそのもの。
そんな彼らがある日、
「私達、近いうちに心中するつもりなんです。」
と言い出したのは、一体なぜ?
互いに熱烈に愛し合っている彼らの暮らしは、
質素ながらも、幸せそのもの。
そんな彼らがある日、
「私達、近いうちに心中するつもりなんです。」
と言い出したのは、一体なぜ?
23年07月18日 20:24
【ウミガメのスープ】 [るょ]
【ウミガメのスープ】 [るょ]
解説を見る
近所の古城に隠れ住んでいた化け物が討伐された。
噂では、
そいつは夜な夜な人を襲い、その血を吸っていたという。
城に残された棺には、
被害に遭った女性の、干からびた遺体が隠されていたそうな。
・・・
だが、私は知っている。
その化け物が、抵抗もなく死を受け入れた理由を。
「…そうか。あのお客さん、本当は{ダブルベッド}が欲しかったんだな。」
彼女の葬儀に使う一人用の棺を作りながら、ポツリとこぼした。
答え:
吸血鬼である男は、いつも棺の中で寝ている。
できるだけ長く一緒にいたい彼らは、
葬儀屋(棺職人)に、一緒に寝るための二人用の棺を作ってもらうことにした。
生きている人間が二人用の特別な棺を欲する方便として、心中するという嘘をついたのだった。
噂では、
そいつは夜な夜な人を襲い、その血を吸っていたという。
城に残された棺には、
被害に遭った女性の、干からびた遺体が隠されていたそうな。
・・・
だが、私は知っている。
その化け物が、抵抗もなく死を受け入れた理由を。
「…そうか。あのお客さん、本当は{ダブルベッド}が欲しかったんだな。」
彼女の葬儀に使う一人用の棺を作りながら、ポツリとこぼした。
答え:
吸血鬼である男は、いつも棺の中で寝ている。
できるだけ長く一緒にいたい彼らは、
葬儀屋(棺職人)に、一緒に寝るための二人用の棺を作ってもらうことにした。
生きている人間が二人用の特別な棺を欲する方便として、心中するという嘘をついたのだった。
「期待外れでも愛おしく」「6ブックマーク」
ずっと夫(カメオ)と息子(ウミオ)のことを一番に考えてきたカメコが病気にかかり、余命あと半年となってしまった。
そんなある日、ウミオが病床にいるカメコに、
「何かしたいこととか叶えたい願いとか、ある?」
と尋ねると、
「カメオとウミオが元気で幸せにいきてほしい」
などと答えるので、
「そんなんじゃなくって、もっと自分のためのことだよ、お母さんの、お母さん自身のための願いを教えて欲しい」
「んー、そうね、ちょっと考えておくね」
と答えた。
そして数日後。
カメコは
「この前の話だけどね、私、家族で温泉旅行に行ってみたいかなぁ」
と言った。
実はカメコどころかカメオやウミオも温泉は特に好きじゃないし温泉に浸かったところで病気がよくなるわけもないのだが、一体何故カメコは温泉旅行に行きたいと願ったのだろうか?
そんなある日、ウミオが病床にいるカメコに、
「何かしたいこととか叶えたい願いとか、ある?」
と尋ねると、
「カメオとウミオが元気で幸せにいきてほしい」
などと答えるので、
「そんなんじゃなくって、もっと自分のためのことだよ、お母さんの、お母さん自身のための願いを教えて欲しい」
「んー、そうね、ちょっと考えておくね」
と答えた。
そして数日後。
カメコは
「この前の話だけどね、私、家族で温泉旅行に行ってみたいかなぁ」
と言った。
実はカメコどころかカメオやウミオも温泉は特に好きじゃないし温泉に浸かったところで病気がよくなるわけもないのだが、一体何故カメコは温泉旅行に行きたいと願ったのだろうか?
23年07月24日 21:18
【ウミガメのスープ】 [ベルン]
【ウミガメのスープ】 [ベルン]
解説を見る
【簡易解説】
息子の反抗期以来ほとんど話すことの亡くなった父と息子が、自分の死んだ後では仲良くしてほしいと願い、父と息子の二人で行動して話さざるを得ない、温泉旅行に行きたいと伝えたから。
―――――
父とほとんど話さなくなったのは思えばいつからだっただろうか。
中学生になり、反抗期に入った頃だろうか。
それとも父が仕事で忙しくなった頃だろうか。
それすらあまり覚えていない。
お母さんとなら色々話すのに、どうして父とちょっと気まずくなってしまったのだろう。
お母さんはいつも父のことを大切に思っているのに。
かといって、別に不便もなかったのでこちらから直そうという気にはなれなかった。
もちろん父も、お母さんほどではないかもしれないが、僕のことを大切に思ってくれていたはずなのに。
そんなある日、お母さんが倒れた。
不治の病で、余命半年だと医者から伝えられたときは現実を受け入れられなかった。
それは恐らく父も同じだろう。
だって日に日に痩せていったから。
でも僕は大丈夫?すら言えなかった。
それ以上に入院してやせ細っていくお母さんの方が心配だったから。
それからというもの、会社から休みをもらって、毎日のようにお母さんのいる病院に通った。
小さい頃の思い出から今朝見た夢や最近のニュースについてなど。
父もお母さんに色々話しかけていた。
二人ならこんなに話すんだって驚いたのを今でも覚えている。
入院して一ヶ月近くが経ったある日のこと。
僕の精神もだいぶ落ち着いてきたので、ついにお母さんに尋ねてみることにした。
「何かしたいこととか叶えたい願いとか、ある?」
するとお母さんはすぐに答えた
「んー、そうね。カメオとウミオが元気で幸せにいきてほしい」
僕は、なにかしてあげられることがないかって思ってやっと聞けたのに、相変わらずお母さんっぽすぎて、ちょっと鳴きそうになった。
「そんなんじゃなくって、もっと自分のためのことだよ、お母さんの、お母さん自身のための願いを教えて欲しい」
そこでお母さんはしばらく沈黙した。
「んー、そうね、ちょっと考えておくね」
そして数日後、もう一度お母さんに聞いてみると
「温泉旅行に家族三人で行きたい」
と答えた。
あれ、お母さん温泉好きだったっけ?とちょっと思ったけど、ついに教えてくれた、お母さんの願い。
「そうなの!じゃあお医者さんに一泊だけでも温泉旅行に連れて行っていいか聞いてみるね」
こんなのは遅れれば遅れるほど行けなくなりそうなので、すぐに医者に許可を取りに行った。
初めは難色を示した医者だが、僕と、お母さんも一緒に懇願してくれたので近隣の温泉でお母さんの状態が良ければという条件付きで許可して貰えた。
そして迎えた旅行の日。お母さんの病状も良く、無事に温泉に行くことが出来た。
久しぶりの家族三人での旅行だったので、皆心なしかうきうきしていた。
ついに旅館に到着し、お母さんの念願の温泉に入ることに。
「じゃあお母さん、またあとで、ゆっくりつかってきてね!」
「あんまりのぼせすぎんようにな、カメコ」
「うん!二人ともありがとう!二人もゆっくり楽しんでおいで!」
男湯。
父とふたりっきり。
なんやかんやお母さんが倒れてからもご飯どうするとかお母さんに何持って行くとか事務的な用事でしか話せてなかったので、こういうときに父と何を話せばいいか分からなかった。
「…なぁ、ウミオ。」
父がついに沈黙を破った。
「なに?」
「お母さん、温泉好きだったっけ?」
「いや、別にそんなことなかったと思うけど」
「だよなぁ、最後に家族みんなで旅行したかったのかなぁ」
「…最後とか言わないでよ」
「あぁ、すまん」
…気まずい。
「なぁウミオ、あっちに露天風呂もあるみたいだぞ、折角だしいってみようか」
「あ、うん。」
「…ふぅ。あったかいな」
「うん。」
…
「なぁ、昔、家族三人で東北の温泉に旅行に行ったの覚えてるか」
「なんとなく」
「そうだよなぁ、ウミオあのとき6歳くらいだったもんなぁ」
「そんな昔だっけ!?」
「うん、だって小学校入ってすぐで嬉々として学校の話を温泉に浸かってしてたもん」
「そうだっけ!?全然覚えてないや」
「そうそう、それでな、」
…久しぶりに父といっぱい話して、気付けば一時間近くも温泉に浸かっていて、二人ともすっかりのぼせてしまっていた。
赤い顔で急いで男湯を出ると、お母さんは先に部屋で待っていて。二人でごめん遅くなった!って帰ったらとっても嬉しそうに、いいのよって微笑んでいた。
それから夜ご飯のときも、十年ぶりくらいに川の字で寝るときも、家族三人でいっぱい話した。こんなにも話すことがあるのかと驚くくらい話した。本当に楽しかった。
気付けば朝になっており、みな寝不足のまま温泉宿をあとにした。
お母さんの病院に戻ってきたとき、本当にありがとうねって目を潤わせていたので、こっちも涙が出てきた。 また行こうねって、何とか言えた。
でもその約束の実現は叶わなかった。
それからお母さんの病状が悪化し、寝ていることが増え、そうしているうちに数ヶ月が経ち、ついに帰らぬ人となってしまったのだ。
覚悟はできていたはずなのに僕は泣いた。
お父さんも泣いていた。
お葬式の準備や病院の手続きなどに追われ、息つく暇も与えてくれなかったのはある意味良かったのかも知れない。
温泉旅行以来気まずくなく話せるようになったお父さんと色々協力して、なんとかやり遂げた。
そうこうしているうちに何とか落ち着き、やっと僕たちは気付くことができた。
「きっと、あの温泉旅行があったから、僕、お父さんとまた仲良くなれたんだよ。
ありがとう、お母さん。」
「そうだね、ウミオ。最後までお母さん、ウミオとお父さんのことしか考えてなかったんだね。」
「ほんとだね、まったくもう、お母さんなんだから。」
そうして二人、少し広くなった家で、久しぶりにちょっと笑いながら、気の済むまで涙を流した。
お母さん、僕たちはまた昔のように親子に戻れたよ。
これからお母さんがいなくなっても二人で頑張っていくよ。
ありがとう。
ずっと、天国から見守っていてね。
息子の反抗期以来ほとんど話すことの亡くなった父と息子が、自分の死んだ後では仲良くしてほしいと願い、父と息子の二人で行動して話さざるを得ない、温泉旅行に行きたいと伝えたから。
―――――
父とほとんど話さなくなったのは思えばいつからだっただろうか。
中学生になり、反抗期に入った頃だろうか。
それとも父が仕事で忙しくなった頃だろうか。
それすらあまり覚えていない。
お母さんとなら色々話すのに、どうして父とちょっと気まずくなってしまったのだろう。
お母さんはいつも父のことを大切に思っているのに。
かといって、別に不便もなかったのでこちらから直そうという気にはなれなかった。
もちろん父も、お母さんほどではないかもしれないが、僕のことを大切に思ってくれていたはずなのに。
そんなある日、お母さんが倒れた。
不治の病で、余命半年だと医者から伝えられたときは現実を受け入れられなかった。
それは恐らく父も同じだろう。
だって日に日に痩せていったから。
でも僕は大丈夫?すら言えなかった。
それ以上に入院してやせ細っていくお母さんの方が心配だったから。
それからというもの、会社から休みをもらって、毎日のようにお母さんのいる病院に通った。
小さい頃の思い出から今朝見た夢や最近のニュースについてなど。
父もお母さんに色々話しかけていた。
二人ならこんなに話すんだって驚いたのを今でも覚えている。
入院して一ヶ月近くが経ったある日のこと。
僕の精神もだいぶ落ち着いてきたので、ついにお母さんに尋ねてみることにした。
「何かしたいこととか叶えたい願いとか、ある?」
するとお母さんはすぐに答えた
「んー、そうね。カメオとウミオが元気で幸せにいきてほしい」
僕は、なにかしてあげられることがないかって思ってやっと聞けたのに、相変わらずお母さんっぽすぎて、ちょっと鳴きそうになった。
「そんなんじゃなくって、もっと自分のためのことだよ、お母さんの、お母さん自身のための願いを教えて欲しい」
そこでお母さんはしばらく沈黙した。
「んー、そうね、ちょっと考えておくね」
そして数日後、もう一度お母さんに聞いてみると
「温泉旅行に家族三人で行きたい」
と答えた。
あれ、お母さん温泉好きだったっけ?とちょっと思ったけど、ついに教えてくれた、お母さんの願い。
「そうなの!じゃあお医者さんに一泊だけでも温泉旅行に連れて行っていいか聞いてみるね」
こんなのは遅れれば遅れるほど行けなくなりそうなので、すぐに医者に許可を取りに行った。
初めは難色を示した医者だが、僕と、お母さんも一緒に懇願してくれたので近隣の温泉でお母さんの状態が良ければという条件付きで許可して貰えた。
そして迎えた旅行の日。お母さんの病状も良く、無事に温泉に行くことが出来た。
久しぶりの家族三人での旅行だったので、皆心なしかうきうきしていた。
ついに旅館に到着し、お母さんの念願の温泉に入ることに。
「じゃあお母さん、またあとで、ゆっくりつかってきてね!」
「あんまりのぼせすぎんようにな、カメコ」
「うん!二人ともありがとう!二人もゆっくり楽しんでおいで!」
男湯。
父とふたりっきり。
なんやかんやお母さんが倒れてからもご飯どうするとかお母さんに何持って行くとか事務的な用事でしか話せてなかったので、こういうときに父と何を話せばいいか分からなかった。
「…なぁ、ウミオ。」
父がついに沈黙を破った。
「なに?」
「お母さん、温泉好きだったっけ?」
「いや、別にそんなことなかったと思うけど」
「だよなぁ、最後に家族みんなで旅行したかったのかなぁ」
「…最後とか言わないでよ」
「あぁ、すまん」
…気まずい。
「なぁウミオ、あっちに露天風呂もあるみたいだぞ、折角だしいってみようか」
「あ、うん。」
「…ふぅ。あったかいな」
「うん。」
…
「なぁ、昔、家族三人で東北の温泉に旅行に行ったの覚えてるか」
「なんとなく」
「そうだよなぁ、ウミオあのとき6歳くらいだったもんなぁ」
「そんな昔だっけ!?」
「うん、だって小学校入ってすぐで嬉々として学校の話を温泉に浸かってしてたもん」
「そうだっけ!?全然覚えてないや」
「そうそう、それでな、」
…久しぶりに父といっぱい話して、気付けば一時間近くも温泉に浸かっていて、二人ともすっかりのぼせてしまっていた。
赤い顔で急いで男湯を出ると、お母さんは先に部屋で待っていて。二人でごめん遅くなった!って帰ったらとっても嬉しそうに、いいのよって微笑んでいた。
それから夜ご飯のときも、十年ぶりくらいに川の字で寝るときも、家族三人でいっぱい話した。こんなにも話すことがあるのかと驚くくらい話した。本当に楽しかった。
気付けば朝になっており、みな寝不足のまま温泉宿をあとにした。
お母さんの病院に戻ってきたとき、本当にありがとうねって目を潤わせていたので、こっちも涙が出てきた。 また行こうねって、何とか言えた。
でもその約束の実現は叶わなかった。
それからお母さんの病状が悪化し、寝ていることが増え、そうしているうちに数ヶ月が経ち、ついに帰らぬ人となってしまったのだ。
覚悟はできていたはずなのに僕は泣いた。
お父さんも泣いていた。
お葬式の準備や病院の手続きなどに追われ、息つく暇も与えてくれなかったのはある意味良かったのかも知れない。
温泉旅行以来気まずくなく話せるようになったお父さんと色々協力して、なんとかやり遂げた。
そうこうしているうちに何とか落ち着き、やっと僕たちは気付くことができた。
「きっと、あの温泉旅行があったから、僕、お父さんとまた仲良くなれたんだよ。
ありがとう、お母さん。」
「そうだね、ウミオ。最後までお母さん、ウミオとお父さんのことしか考えてなかったんだね。」
「ほんとだね、まったくもう、お母さんなんだから。」
そうして二人、少し広くなった家で、久しぶりにちょっと笑いながら、気の済むまで涙を流した。
お母さん、僕たちはまた昔のように親子に戻れたよ。
これからお母さんがいなくなっても二人で頑張っていくよ。
ありがとう。
ずっと、天国から見守っていてね。
「トリップリップ」「6ブックマーク」
曰く、『人と入れ替わることができる口紅』というのは、使用者が自身の唇に付着させた上で任意の相手とキスをすると、その相手と身体を入れ替えられるというもの。
そんな口紅を売る怪しげな路頭商人である私の元に、冥沙という女性がやってきた。
どうしても、と懇願する彼女を前に、渋々私はその口紅を売りつけた。
去り際の彼女にターゲットを尋ねた私は、峰子という名前を聞いた。誰からも愛される天真爛漫な性格が近所で有名だったその名前に聞き覚えがあった私は、彼女を引き留めなかった。
ここで渋々私が売りつけた口紅を使うことを彼女がためらったのは、{峰子につけられていた口紅があまりにも赤々として輝いていた}からだという。
そのことでなぜ、彼女はためらったのだと思う?
そんな口紅を売る怪しげな路頭商人である私の元に、冥沙という女性がやってきた。
どうしても、と懇願する彼女を前に、渋々私はその口紅を売りつけた。
去り際の彼女にターゲットを尋ねた私は、峰子という名前を聞いた。誰からも愛される天真爛漫な性格が近所で有名だったその名前に聞き覚えがあった私は、彼女を引き留めなかった。
ここで渋々私が売りつけた口紅を使うことを彼女がためらったのは、{峰子につけられていた口紅があまりにも赤々として輝いていた}からだという。
そのことでなぜ、彼女はためらったのだと思う?
23年07月26日 23:10
【ウミガメのスープ】 [みさこ]
【ウミガメのスープ】 [みさこ]
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【要約】
問題文冒頭で私の元に現れた冥沙は、冥沙と身体を入れ替えられた峰子の精神を持つ。{問題文以前に、冥沙と峰子は入れ替わっていた。}
峰子は元の身体に戻るため、私から口紅を手に入れたが、冥沙が手にした峰子の身体には、口紅が赤々と塗られていた。
すっかり冥沙によって使いならされた峰子の身体に{今更戻ったところで、元の自分の生活が再び手に入るのか}、自ら化粧もしたこともなかった峰子は、元の自分の身体に戻ることをためらった。
【解説】
やっと見つけた、という大声。その声の方を振り向くと、見覚えのある顔が目に入った。
彼女は確か、冥沙という女性。世界を恨むような怒りに満ちた表情を見つけ、{半年前に}口紅を授けてやった女性だ。
そんな彼女が、私を探していたという。何の用かと思えば、『人と入れ替わることができる口紅』を売って欲しいと抜かした。
彼女の要求を、私は突っぱねる。一度口紅を授けた者に、再びそれを売りつけるような真似はしない。それでは面白みに全く欠けるし、彼女を信頼した私がバカだったことになる。
しかし彼女は、どうしても、と食い下がる。鈍感な私でも、ここで漸く判然とした。半年前に見た彼女の顔は、厚化粧に陰険な憎悪を浮かべたものだった。今の彼女は、それを全く裏返した表情をしている。
やはり、私の信頼した彼女は、しっかりとあの口紅を半年前に使用していたのだろう。今この身体にいるのは、冥沙ではない。{半年前に彼女に口付けをされた、どこかの不運な人間}だ。
それでも基本、私の信条に変わりはないのだが、彼女の、いや、本当に『彼女』と呼べる存在かすら分からないが、彼女の気迫に押され、渋々件の口紅を売りつけることにした。これはこれで興味深いことであるから、見逃してやることにする。
興味本位でターゲットを、去り際の彼女に聞いた。彼女は迷いのない表情で素直に、菊池 峰子という名前を明かした。
誰からも愛される天真爛漫な性格が{かつて}近所で有名だったその名前には、聞き覚えがあった。確か峰子は、ついこの間高校に進学したばかりだったはず。{半年前に性格が一変し}、遊びに呆け親とも仲違いを起こした、今や凶暴な反抗期の少女。その変貌ぶりは近所でも有名だ。その真意に、私には判然と合点がいった。
目の前に冥沙という女性。{この女性こそ、誰からも愛される、天真爛漫な菊池 峰子}なのだろう。
起こりうる残酷な未来に笑みを浮かべて期待しつつ、私は彼女を引き留めず見送った。
——————
その後私は、幸運なことにその残酷な未来に立ち会った。
人気のない路地裏。袋小路には、紫煙を奔放に撒き散らす男女集団の姿がある。それを遠くから絶望の表情で見つめる女性こそ、私が先日会った『冥沙』、いや峰子その人だった。
彼女が半年間をどう過ごし、自分の身体の行方をどう追跡したのかは知れないが、元の身体に戻ることへの強い決意だけで動いていたことだけは確かだろう。
そんな峰子が、ずっと渇望した自分の身体を目の前に、絶望している。
私はこんな風説を耳にした。豹変する前の菊池 峰子は、まっすぐ真面目に生きてきた可憐な少女であり、自分で化粧もしたことがない子だという。
そんな彼女が、自分の唇に赤々と塗られた口紅の厚化粧を目の前にしている。高校生には不恰好な厚化粧は、もはや『冥沙』の精神によって散々にその身体が使いならされていることの決定的な証左に映る。
半年の年月で、無責任にも変貌してしまった『自分』の境遇を前に、峰子はその『人と入れ替わることができる口紅』を使用することを深くためらったのだ。
冥沙によって突然奪われたであろう自分の身体を必死に求めた半年間。それを、身体を元に戻すだけで結実させることはできるのか。目の前で男女混じりにはしたない光景を体現する自分の身体に、{今更戻ったところで、自分が取り戻したかった『自分』は戻ってくるのか。}
「それでも、私は…。」
小さくも確かに呟かれた声を聞いて、私は不満を感じながらもその場を立ち去った。
問題文冒頭で私の元に現れた冥沙は、冥沙と身体を入れ替えられた峰子の精神を持つ。{問題文以前に、冥沙と峰子は入れ替わっていた。}
峰子は元の身体に戻るため、私から口紅を手に入れたが、冥沙が手にした峰子の身体には、口紅が赤々と塗られていた。
すっかり冥沙によって使いならされた峰子の身体に{今更戻ったところで、元の自分の生活が再び手に入るのか}、自ら化粧もしたこともなかった峰子は、元の自分の身体に戻ることをためらった。
【解説】
やっと見つけた、という大声。その声の方を振り向くと、見覚えのある顔が目に入った。
彼女は確か、冥沙という女性。世界を恨むような怒りに満ちた表情を見つけ、{半年前に}口紅を授けてやった女性だ。
そんな彼女が、私を探していたという。何の用かと思えば、『人と入れ替わることができる口紅』を売って欲しいと抜かした。
彼女の要求を、私は突っぱねる。一度口紅を授けた者に、再びそれを売りつけるような真似はしない。それでは面白みに全く欠けるし、彼女を信頼した私がバカだったことになる。
しかし彼女は、どうしても、と食い下がる。鈍感な私でも、ここで漸く判然とした。半年前に見た彼女の顔は、厚化粧に陰険な憎悪を浮かべたものだった。今の彼女は、それを全く裏返した表情をしている。
やはり、私の信頼した彼女は、しっかりとあの口紅を半年前に使用していたのだろう。今この身体にいるのは、冥沙ではない。{半年前に彼女に口付けをされた、どこかの不運な人間}だ。
それでも基本、私の信条に変わりはないのだが、彼女の、いや、本当に『彼女』と呼べる存在かすら分からないが、彼女の気迫に押され、渋々件の口紅を売りつけることにした。これはこれで興味深いことであるから、見逃してやることにする。
興味本位でターゲットを、去り際の彼女に聞いた。彼女は迷いのない表情で素直に、菊池 峰子という名前を明かした。
誰からも愛される天真爛漫な性格が{かつて}近所で有名だったその名前には、聞き覚えがあった。確か峰子は、ついこの間高校に進学したばかりだったはず。{半年前に性格が一変し}、遊びに呆け親とも仲違いを起こした、今や凶暴な反抗期の少女。その変貌ぶりは近所でも有名だ。その真意に、私には判然と合点がいった。
目の前に冥沙という女性。{この女性こそ、誰からも愛される、天真爛漫な菊池 峰子}なのだろう。
起こりうる残酷な未来に笑みを浮かべて期待しつつ、私は彼女を引き留めず見送った。
——————
その後私は、幸運なことにその残酷な未来に立ち会った。
人気のない路地裏。袋小路には、紫煙を奔放に撒き散らす男女集団の姿がある。それを遠くから絶望の表情で見つめる女性こそ、私が先日会った『冥沙』、いや峰子その人だった。
彼女が半年間をどう過ごし、自分の身体の行方をどう追跡したのかは知れないが、元の身体に戻ることへの強い決意だけで動いていたことだけは確かだろう。
そんな峰子が、ずっと渇望した自分の身体を目の前に、絶望している。
私はこんな風説を耳にした。豹変する前の菊池 峰子は、まっすぐ真面目に生きてきた可憐な少女であり、自分で化粧もしたことがない子だという。
そんな彼女が、自分の唇に赤々と塗られた口紅の厚化粧を目の前にしている。高校生には不恰好な厚化粧は、もはや『冥沙』の精神によって散々にその身体が使いならされていることの決定的な証左に映る。
半年の年月で、無責任にも変貌してしまった『自分』の境遇を前に、峰子はその『人と入れ替わることができる口紅』を使用することを深くためらったのだ。
冥沙によって突然奪われたであろう自分の身体を必死に求めた半年間。それを、身体を元に戻すだけで結実させることはできるのか。目の前で男女混じりにはしたない光景を体現する自分の身体に、{今更戻ったところで、自分が取り戻したかった『自分』は戻ってくるのか。}
「それでも、私は…。」
小さくも確かに呟かれた声を聞いて、私は不満を感じながらもその場を立ち去った。