◆◆ 問題文 ◆◆
暗闇の中、灯りもつけずに立ち尽くす男。
彼は濡れた手で目の前の壁を壊すことにした。
いったいなぜ?
ーーーーーーーーーー
Ladies & gentlemen! Boys & girls!
皆様、大変お待たせしました。
毎月恒例「創りだすウミガメ」のお時間です。司会は私、リンギが務めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>
前回はこちら→https://late-late.jp/mondai/show/11987
台風一過の折、青く澄んだ空が気持ちまで晴れやかにしてくれるようでございます。
…晴れやかというには爪痕が深すぎる地域がたくさんありますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。1年も3分の2が終わりそうですね。気づきたくなかった事実です。
そんな色々ままならない現状をぶち壊すような第27回にしていきたいものですね。
↓いつものルール説明↓
★★ 1・要素募集フェーズ ★★
[9/19(土)21:00頃~質問が50個集まるまで]
まず、正解を創り出すカギとなる質問(要素選出)をして頂きます。
☆要素選出の手順
1.出題直後から、YESかNOで答えられる質問を受け付けます。質問は1人4回まででお願いします。
2.皆様から寄せられた質問の数が50個に達すると締め切りです。
選出は全てランダムです。今回も、ある程度の矛盾要素をOKとします。
選ばれた質問には「YES!」の返答とともに『[良い質問]』(=良質)がつきます。
※良質としたものを以下『要素』と呼びます。
※条件が狭まりすぎる物は採用いたしません。
[矛盾例]田中は登場しますか?&今回は田中は登場しませんよね? →今回もOKとします。例は今回も田中さんで譲りません。
[狭い例]ノンフィクションですか?(不採用)
[狭い例]登場キャラは1人ですか?(不採用)
[狭い例]ストーリーはミステリー・現実要素ものですよね?(不採用)
要素が揃った後、まとメモに要素を書き出しますのでご活用ください。
★★ 2・投稿フェーズ ★★
[要素選定後~9/29(火)23:59]
要素募集フェーズが終わったら、選ばれた要素を取り入れた解説を投稿する『投稿フェーズ』に移行します。
各要素を含んだ解説案をご投稿ください。
らてらて鯖の規約に違反しない範囲で、思うがままに自由な発想で創りだしましょう!
※過去の「正解を創りだす(らてらて鯖版・ラテシン版)」もご参考ください。
ラテシン版
http://suihei.net/tag/tag/%E6%AD%A3%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%89%B5%E3%82%8A%E3%81%A0%E3%81%99%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AC%E3%83%A1
らてらて鯖:
https://latelate.jp/tag/tag/%E6%AD%A3%E8%A7%A3%E3%82%92%E5%89%B5%E3%82%8A%E3%81%A0%E3%81%99%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AC%E3%83%A1
☆作品投稿の手順
1.投稿作品を、別の場所(文書作成アプリなど)で作成します。
質問欄で文章を作成していると、その間他の方が投稿できなくなってしまいます。
コピペで一挙に投稿を心がけましょう。
2.すでに投稿済みの作品の末尾に終了を知らせる言葉の記述があることを確認してから投稿してください。
記述がない場合、まだ前の方が投稿の最中である可能性があります。
しばらく時間をおいてから再び確認してください。
3.まずタイトルのみを質問欄に入力してください。
後でタイトル部分のみを[良質]にします。タイトルは作品フェーズが終わり次第返信させていただきます。
4.次の質問欄に本文を入力します。
「長文にするならチェック」がなくなりましたので、主催が長文許可を忘れてなければそのまま質問欄にて改行込みでのコピペが可能です。
つけ忘れていた場合は、お手数ですが適当な文字を入力した後に質問の編集画面に飛び、作品をコピペしてください。
5.本文の末尾に、おわり、完など、終了を知らせる言葉を必ずつけてください。
※作品のエントリーを辞退される際は、タイトルに<投票対象外>を付記して下さい。
★★ 3・投票フェーズ ★★
[投票会場設置後~10/5(月)23:59]
※作品数多数の場合や司会者の判断により、期間を延長する場合もございますのでご了承ください。
投稿期間が終了したら、『投票フェーズ』に移行します。
お気に入りの作品、苦戦した要素を選出しましょう。
☆投票の手順
1.投稿期間終了後、別ページにて、「正解を創りだすウミガメ・投票会場」(闇スープ)を設置いたします。
2.作品を投稿した「シェフ」は3票、投稿していない「観戦者」は1票を、気に入った作品に投票できます。
それぞれの「タイトル・票数・作者・感想」を質問欄で述べてください。
また、「最も組み込むのが難しかった(難しそうな)要素」も1つお答えください。
※投票は、1人に複数投票でも、バラバラに投票しても構いません。
※自分の作品に投票は出来ません。その分の票を棄権したとみなします。
※投票自体に良質正解マーカーはつけません。ご了承ください。
3.今回もスッキリ賞を設けさせていただきます!
※ 「スッキリ賞」の投票基準はいかに短く分かりやすくまとまっているかです。短めの解説や長い解説の要約のみが対象となります。エモンガ賞、匠賞と同様に、コチラも任意です。
4.皆様の投票により、以下の受賞者が決定します。
◆最難関要素賞(最も票を集めた要素):その質問に[正解]を進呈
◆最優秀作品賞(最も票数を集めた作品):その作品に[良い質問]を進呈
◆シェチュ王(最も票数を集めたシェフ=作品への票数の合計):全ての作品に[正解]を進呈
→見事『シェチュ王』になられた方には、次回の「正解を創りだすウミガメ」を出題していただきます!
※票が同数になった場合のルール
[最難関要素賞][最優秀作品賞]
同率で受賞です。
[シェチュ王]
同率の場合、最も多くの人から票をもらった人(=複数票を1票と数えたときに最も票数の多い人)が受賞です。
それでも同率の場合、出題者も(事前に決めた)票を投じて再集計します。
それでもどうしても同率の場合は、最終投稿が早い順に決定させていただきます。
■■ タイムテーブル ■■
☆要素募集フェーズ
9/19(土)21:00~質問数が50個に達するまで
☆投稿フェーズ
要素選定後~9/29(火)23:59まで
☆投票フェーズ
投票会場設置後~10/5(月)23:59まで ※予定
☆結果発表
10/6(火)22:00 ※予定
◇◇ お願い ◇◇
要素募集フェーズに参加した方は、できる限り投稿・投票にもご参加くださいますようお願いいたします。
質問だけならお手軽気軽、でもメインはあくまで投稿・投票です。
投稿は意外と何とかなるし、投票もフィーリングで全然OKです。心向くままに楽しみましょう!もちろん投稿フェーズと投票フェーズには、参加制限など一切ありません。
どなた様もお気軽にご参加ください。
皆様の思考や試行、思う存分形にしてみて下さい。
◇◇ コインバッジについて ◇◇
シェチュ王……400c
最優秀作品賞…100c
最難関要素賞…10c
シェフ参加賞…5c
投票参加賞……5c
上記の通り賞に応じてコインを発行する予定ですので、皆様ぜひお気軽にご参加くださいませ。
…以上となります。
それでは、これより要素募集フェーズを始めます。再度確認ですが、質問は一人、4回まで!
新古参問わず、だれでもご参加可能です。珠玉のスープを創りだしましょう!
よーい… スタート!!
結果発表!皆様ありがとうございました!
要素決定!要素決定!
これより投稿フェーズに移ります![編集済]
①投稿作品を、別の場所(文書作成アプリなど)で作成します。
質問欄で文章を作成していると、その間他の方が投稿できなくなってしまいます。
コピペで一挙に投稿を心がけましょう。
②すでに投稿済みの作品の末尾に終了を知らせる言葉の記述があることを確認してから投稿してください。
記述がない場合、まだ前の方が投稿の最中である可能性があります。
しばらく時間をおいてから再び確認してください。
後でタイトル部分のみを[良質]にします。
④次の質問欄に本文を入力します。
本文の末尾に、おわり、完など、終了を知らせる言葉を必ずつけてください。
⑤今回も原則として簡易解説をつけていただきたいと思います。
作品の冒頭もしくは末尾に、問題文の問いかけに対する簡易解説(要約)をつけてください。文字数や行数の指定はありません。
※作品自体が簡易解説のような形である場合は、新たに要約をつける必要はありません。
【簡易解説】
良家のお嬢様と身分違いの恋に落ちた男。二人は駆け落ちし、遠い国ニッポンで新たな人生を始めようと決意する。不安か嬉しさか自然と流れた涙をぬぐい、二人の間のどんな障壁も壊して見せると決意する男だった。
「急げ、見つからないうちに!」①(1)
少女の手を取り走る僕。端的に言えば、駆け落ちだ。②(5)
愛する人と一緒に後先考えずひた走る。人生にこれ以上の幸せはないのかもしれない。③(14)
彼女の実家に、関係を許してくれるよう書簡を送ろうともした。でもそうすれば警戒されて、こんなチャンスは失くなってしまう。僕たちは二人で生きる道を選んだ。④(20)
僕たちは飛行機に乗って遠い国へと旅立つ。今この時を持って新しい人生を始めるんだ。⑤(21)
衝動的に飛び出してきたものだから、正直まだ今後の設計図は描けていない。いや、そんなもの必要ないのかもしれない。⑥(25)
薬指に光る指輪の輝きさえあれば、どんな暗闇でも迷わず進んでいける気がした。⑦(40)⑧(44)
目的地へ着いたのは夕方だった。閑静な住宅街。家々から漂う独特の香りが鼻孔をくすぐる。⑨(48)
しばらく二人で立ち尽くしていた。気付くと日は沈み、辺りは暗くなっている。僕はいつの間にか涙を流していた。彼女も泣いていた。僕たちはまたしばらくの間見つめあっていた。
「サンマ、食べてみたいな。」⑩(50)
ニッポン。そこが二人の新天地だ。
僕は涙をぬぐい、その手を掲げた。
この涙に誓って、二人の間のどんな壁も壊してみせるとそう決めたのだ。
-終-
[編集済]
身分違いの恋愛逃避行。
今回問題文も要素もやべーなと冷や汗をかいてましたが、要素決定から約2時間でこの完成度には舌を巻きます。あなたは立派な猛者です。母国を捨て2人だけで生きる覚悟を【④送らない手紙が登場します】で演出。匠です。覚悟の回想から男を現実へ引き戻す【⑨夕食の香りが漂ってきます】と【⑩さんまをたべます】の演出になんだかエモンガ。
タイトルに引っ張られて「テーマソングはサザンの涙のキッスだな!」とか思ってましたがアレは別れのラブソングなのでむしろ真逆だった。やめときます。
なにはともあれ
【解説】
押し入れに閉じ込められた男(男児)は明かりのない
暗闇に怯えて流した涙と鼻水をぬぐった為に濡れた手で
壁(押し入れの戸)を壊し、そこから脱出することにした。
(side:Y)
高校生同士が下校中にコンビニ寄ってアイスの分け合い。
帰りには片っぽの自転車に乗って帰る。
それはそれは青春②だと思いますよ?ええ。
それが実の弟でなけりゃあな!
「っダーーッ!!!」
「何、兄さんいきなり。煩いよ」
「何で!兄弟で!こんな真似しなきゃなんねーんだ!!」
「えーやだよこの時間が俺の一番の幸せ③なんだからさー取らないでよ」
「もういい、さっさと家に着け」
「はいはい畏まりましたよお嬢様」
「誰がお嬢様だ」
(10 years ago)
「ねえ兄ちゃん、はやくテレビかわって!」
弟の卓也の声に兄の裕也は露骨に嫌な顔をした。
「ラテレンジャーはじまっちゃう!はやくしなきゃ大変なの①!見れない!!」
「別に後でネットで見ろよ…ってあっ!!お前何するんだよ!」
テレビゲームを終える気配のない兄に焦れた弟は強引にゲーム機の電源を落とした。
「こいつ!」裕也は卓也をむんずと掴むと後ろにあった押し入れに放り込み戸を閉めた。
そして押入れが容易に開かないように戸の前にどっかりと座り込んだ。暗闇の中で泣き出す卓也。
「う゛わ゛ぁあああああん!!」
ドン! ドン!
「あ゛げでよ゛ぉぉおおお!!」
バキッ!!バリッ!!
「おいバカ!やめろ!!痛って、」
ガタン!!バターーン!!!
ついに押し入れの戸を破壊した卓也は涙と鼻水で顔面と両手をべとべとにしながら裕也を叩いてきた。
(side:T)
小学生の頃、自分の将来を絵に描く、っていう課題があった時に
俺は大人になった兄さんと自分が一緒にいる図が浮かんだんだ。
けれどその絵を描くことはできなかった⑥。
兄弟は他人の始まり、なんていうし
親子ならともかく兄弟の繋がりなんて大人になれば簡単に途絶えてしまう。
なのに呪いみたいに身動きを取れなくさせる。
(side:Y)
どういう話からそうなったのか全く覚えていないが、
「俺は生まれ変わりたいよ。まっさらにね⑤。」という卓也を見て
「…そーかよ」と返した俺は情けないことにその時完全に足元を掬われた様に動揺していた。
(この香り、今日の夕飯⑨はサンマかぁ)とみっともなく現実逃避もした。
「ゆーちゃーん、たっくーん、ごはーん!」何も知らない能天気な母親の声が無性にありがたい。
夕飯は予想通りサンマだった⑩。せっかく高い金出して買ってきてくれたところ誠に申し訳ないが全く味が分からなかった。何事もなかったかのように弟の顔ができるこいつがまるっきり知らない人間に見えた。
(side:???)
私は友人に頼まれて伝書鳩をすることになった。
何でも私と同じクラスの飯野裕也に手紙を渡してほしいと。
今時アナログに手紙とは何とも古式ゆかしいし、
直接渡したほうが良いのでは、と言ってはみたものの押し切られた。
さて、いざミッションを達成すべく放課後の人気が無い教室に戻ると、先客がいた。
飯野の弟だった。机に突っ伏して寝ている飯野の左腕を取り、薬指⑦に噛みついていた。
何だ、あれは。
私はひょっとして
見てはいけないものを見てしまったのではないだろうか。
呆然と突っ立っていた私に気付いた飯野の弟は人差し指を彼の唇に当てた。
御内密に、ということか。
私は手紙④を送ることなぞ脳裡から吹き飛ぶ勢いで昇降口まで駆け降りた。
友人に彼女の想いは実らないだろうことを告げなければならない。
私は伝書鳩を務めることはあっても、地獄へ続く道案内をするつもりはなかった⑧。
【—終—・約1430文字】
何も知らない兄と暗躍してそうな弟。
双子かな?弟の【③これが1番の幸せ】発言がまさかフラグとは恐れ入った。匠ですね。弟が【⑦薬指は重要です】のくだりを人に、しかも女の子に見られてやるリアクションが「しー…」って!しーって!!余裕かよ!!その余裕と並大抵ではない覚悟にエモンガです。というか弟の話しかしてない。弟のインパクト強すぎる。
らてらてでは百合はけっこう歓迎されてるイメージですが、こっちはどうなんでしょうね。個人的にはもうちょっと普及していいと思います。
ご参加ありがとうございました!
【解説】
男は女と結婚している。
彼が左手薬指【⑦】にはめている指輪はただの装飾品ではなく、そういった意味を持っている。
女は男と結婚していた。
しかし彼女の薬指には、彼と異なり、幸福や満足を示す証はなかった。
男は女の作る料理が食べたい。
かつての好物の香りが、隣家の夕食の香りとして漂ってくる【⑨】が、食欲はわかない。仮にわいたとしても、それを満たすすべも持たない。
女は男と別れて暮らしたかった。
二人共通の好物で、昔よく食べていたさんま【⑩】も、今は一人で食べるようになっていた。
男は女へ宛てた手紙を眺める。
彼女への思いをしたためたそれは、しかし今はもう、彼の元へ帰ってきている。もう手紙は送らない【④】だろうから、それだけが彼の青春【②】の残骸である。
女は男と別れる決心をしていた。
彼女はまっさらに生まれ変わりたかった。【⑤】
男は諦めていた。
彼はもう、空想妄想幻想ですら、幸せな夫婦の姿を描けなかった。【⑥】
女は焦っている。
一刻も早く、と。【①】
真夜中に目が覚めた男は、ベッドから身を起こし、リビングへと向かった。
部屋は暗かったが、明かりを点ける気にはなれなかった。
機械製品がそれぞれ小さく赤い光を点滅させているが、それらが進入灯のように道案内してくれるわけもなかった。【⑧】
男は棚に足をぶつけ、上に置いていた何かが落ち、割れた。
微かな、しかし、甲高い音だった。
男には、そこに何があったかも思い出せなかった。
足にはじんわりとした痛みが、胸には引きつるような痛みが、あるだけだった。
しばらくして、、、男の目には涙が浮かんでいた。
男は、涙をぬぐって濡れた手を見つめ、次には、目の前の壁を殴りつけた。
壁が凹み、ヒビが入るまで、何度も。
指輪は歪み、これでお揃いになった。
どちらにとっても、これが1番の幸せ【③】だった。
【終】
[編集済]
冷え切った夫婦の話。
夫の悪あがき感が切ないですね。淡々と事実だけを描写するような語り口、エモンガです。壁を壊そうとする理由が指輪を変形させるため、というのが捻りが効いていていいと思います。対象外でなければまた結果は変わっていたかもしれないですね。
ご参加ありがとうございました!
【解説】
ヒーローと悪の組織が存在する世界の出来事。
傷付いた仲間達を守るため、一人で悪の研究所に潜入した男。
男は脅威となる兵器の稼働を遅らせるべく、負傷し血に濡れる手で動力源を覆う壁を破壊したのだった。
──────
資料番号:R-2926
『 親愛なる我が友へ
始めに、突然このような手紙を残して④去る事を許して欲しい。
私はすぐにでも動かなければならない。急がなければ手遅れになる①。
例の最終兵器は充填のために一旦研究所に引き揚げられたに過ぎない。今再び襲撃を受ければ、先の戦闘で傷を負い装備を欠いた君達は間違いなく命を落とすだろう。
だがそうはさせない。
力の無い私ではあるが、君達のために時間を稼ぐ事ぐらいはできる。
私はかの研究所の構造は案内など必要とせぬ⑧程に熟知しているし、セキュリティシステムの弱点も把握している。
他の誰よりも夜目が利くようにできている私であれば、照明を含む設備を無力化し充填装置の元に辿り着くことは可能だ。
もちろん、無傷でとはいかないだろうが。
しかしそこまで行けば後はエナジーコアを覆う隔壁にヒビの一つでも入れられれば良いのだ。それで一週間は作業を遅らせる事ができる。
その間に君達であれば現状を打開できると信じている。
残念だが私には今後も君達と共に在る自分の姿を思い描く事はできない⑥。
まあ、もし人間の言う生まれ変わりというものが私にもあるのなら、いずれ全く新しい形で君達と関わる事ができるのかもしれないな⑤。それも悪くない。
思い返せば君との出会いは奇異な物だった。
あの日、我々の宿敵であるヒーローの正体があどけなさの残る少年であると知った時は、不思議と思考が乱れたものだ。
その上君は、ヒーローを倒すために造られた怪人である私の命を救い、仲間として受け入れた。
それがどんな感情の機微によるものか、人の心を持たない私には想像もつかない。
それでも私は忘れる事ができないのだ。
この景色が好きだと見せてくれた夕暮れの空の色も。
始めて与えられた温かな食事の香り⑨も。
小指が存在しない私に合わせてと、君と薬指⑦で交わした約束も。
共に戦い続けるという誓いを破る事は本意では無い、それだけは分かって貰いたい。けれど。
私に世界を守る理由は無いが。君を、君達を。そして、君達が大切にしている物を、守りたいのだよ。
そうできる事が私にとっての一番の幸せなのだから③。
最後に、取り留めもない話になるが君の悪い癖について一言言わせて貰おう。
使った道具はその辺に置き去りにしてはならないし、それと食事のマナー。特にサンマ⑩だったか、あれをもっと綺麗に食べられるよう努力すべきだ。調理担当者が嘆いていた。
そして何より、君は事ある毎に我慢をし過ぎる。もっと自由に、わがままに在って良いのではないか。
君は本来、青春②とやらを謳歌してしかるべき年齢なのだろう?
長々と書き連ねてしまったが、そろそろ終わりにしようか。
では。
君の未来に幸多からんことを。』
──────
R-2926:補足データ
旧防衛省・対特殊テロ戦闘部隊(俗称:ヒーロー戦隊)の解体に伴い同部隊より引き継ぎ済み。
尚この資料は複製であり、原本は手紙の受取人である現、復興部隊隊員が保有している。
グッバイ・マイヒーロー(終)
ヒーローの遺言状。
敵が味方になる展開はいつなんどきもアツくていいですね。そしてその味方が今後を託して散る様は想像だけでも涙なしではいられない。エモンガです。
「グッバイ・マイヒーロー」と言っているのは果たして彼なのか少年なのか…?読み終わってからもう一度タイトルを見るとさらにエモンガ。好き。
ご参加ありがとうございました!
※軽度ですが一部に流血、残酷描写があります。あとカニバリません。
爽やかかつ深みのあるトマトの香り。それを引き立てる赤ワイン。旨いパスタというものは残り香さえ素晴らしい⑨。
東から取り寄せたという『Sanma』なる青魚の塩漬けを口に運び⑩、アルバーノはワイングラスを傾けながら目の前の光景を満足そうに眺めていた。
中世イタリアのサン・マルコに貴族として産まれ、ただ退屈なばかりの人生を送ってきた彼が辿り着いた至福の娯楽③こそ、この血生臭い饗宴である。
郊外の屋敷に、彼が言うところの『下賎な平民共』を集めて行わせるデスゲーム。
彼らを『市民』と『人狼』に見立て、話し合いと投票にて正体を暴かれれば人狼を。逆に、人狼を見破れなければ市民の中から一人を、毎晩夜九時の鐘が鳴る毎に処刑していくのだ。
丁度、主催者のディナータイムが終わる頃に。
逃げようとすれば容赦なく惨殺される中で、彼らは最後まで勝ち残れば解放されると信じ滑稽に足掻く。
勝者など存在しないというのに、だ。
アルバーノはほくそ笑み、床の血溜まりに倒れ伏す亡骸を鑑賞する。
それらは先程まで、ロウソクの置かれる円卓で最後の勝負に興じていた三人。
一人は今宵の『人狼』、煤けたような灰髪の男だ。別段語るべき事もない、どこにでも転がっている底辺の労働者だろう。
彼は己の役職を見破られ、一足先に衛兵達に銃殺された。
残る『市民』の一人は落ちぶれた画家。昔はそれなりに才能を振るっていたらしいが酒に溺れ、まともに絵も描けなくなって⑥このざまだ。
最後は、道端で野良犬のように生活していた若い女。貧乏な両親のせいで青春②の喜びも味わえずに死ぬとは、何とも哀れな話じゃないか。
生き残った事に二人手を取り合って歓喜し、神に感謝の祈りを捧げる彼らに銃を向けた時の顔と言ったら。
アルバーノはその光景を脳裏に反芻する。えもいわれぬ快感がじんわりと脳を痺れさせたが時が過ぎるにつれ徐々に波は引き、次第に彼ら亡骸達への関心も薄れていった。
「ふむ、なかなか楽しませて貰ったがこうなればただの目障りなゴミだな。食後のドルチェが来る前にさっさと片付け」
そこでアルバーノの言葉は止まる。
何故。
ぼろぼろに、血みどろに。
あれほど蜂の巣にされたはずの男が、動いているのか。
銃の扱いに長けた衛兵達でさえ、明らかな異常を前に呆けた顔のまま動かない。
そして、全身から血を滴らせながらゆらりと立ち上がった灰髪の男が口を開いた。
「知らないのか」
男の喉から乾いた嘲笑が漏れる。
「人狼は、鉛玉じゃ殺せない」
それはアルバーノ達からすれば悪夢の様な光景だった。
肥大する肉体に耐えられず、男が嵌める指輪が軽い音を立てて弾け飛んだ。
まるでまっさらに生まれ変わる⑤ように、血塗れの衣類が青灰の被毛へと置き換わっていく。
頭部の骨格はみるみる変形し、獣のそれへ。
「俺には愛する女性が居た。彼女は俺を俺として愛してくれた唯一の人だった。その意味がお前に分かるか?」
アルバーノは男だった物を見た。
そこにいるのは半人半獣、古より言い伝えられる邪悪なる魔物──人狼に他ならない。
「彼女はカリーナ。お前は名前も覚えていないだろうが、彼女はあんたの屋敷に遣えるメイドの一人だった」
鉛玉では死なず、銀の弾丸が弱点だという人狼。だが高価で実用性に欠ける銀の弾丸がこの場に有るはずもなく。
「彼女の部屋に隠されていた俺宛の手紙④に全て書いてあったよ。この屋敷で行われている悪趣味なゲームについて知ってしまった事。そのために自分は、最悪な方法で……そのゲームで殺されるであろう事。
そして彼女は消えた。俺の前から永遠に。
だから俺はここに来たんだ。
ゲームの参加者がどうやって殺されるかは知っていたからな。
そうさ。お前らに俺は殺せない」
爪先立つ様に優雅な歩様で歩み寄る魔物に、思わず後ずさろうとしたアルバーノは椅子ごと盛大にひっくり返った。
案内人としてゲームを進行していた執事長がいち早く呪縛から解き放たれ、短銃を抜きながら叫ぶ。
「衛兵何をしている、殺せ! 化け物を早く殺せ!」
それとほぼ同時に彼の手は短銃ごと握り潰され、執事長は悲痛な叫びを上げて床に崩れ落ちた。
「案内はいらないな⑧。どこに逃げようと、お前の居場所は匂いで分かる」
アルバーノを見据えるは狼の黄色い双眼。
衛兵達の銃剣が一斉に火を吹くが、その行いに何の意味があるというのか。
玉が命中したところで致命傷は与えられず、次弾を込める前に体は裂かれ、砕かれる。
ましてや人が及ばぬ獣の躍動を前に、目標を捉えることさえできないのだ。
衛兵達は未曾有の恐怖に飲まれ、今やただやみくもに武器を振り回すでくの坊と化している。
「ひいっ、ひいいっ」
絞まる喉から漏れた息か、悲鳴か、自覚すらなくアルバーノは声を上げていた。
強かに打ち付けた背をかばう暇もなく這いつくばって逃げる彼には、もう貴族としてのプライドなど微塵も無い。
辛うじて立ち上がり、走る事ができたのは幸いだった。
扉を開け振り返った彼の視線の先、衛兵の一人が喉笛を食い破られて絶命する。
銃剣を掴まれ捻り上げられた二人の衛兵の腕は、一瞬にしてあらぬ方向を向いていた。
アルバーノは彼らに目もくれず、広間から転がり出た。
それからアルバーノはひた走った。
真っ白な頭では何処へ逃げれば良いのかも判断できない。ただ本能的に暗がりの方へ、自ずと地下への階段を降りていた。
闇こそが獣の領分である事も思い至らずに。
遠くではまだ饗宴の音が聞こえる。
息は上がり、足がもつれる。
アルバーノはとうとう突き当たりの貯蔵庫まで行き着いていた。
あまりの息苦しさに乱れた呼吸を整えようと足を止めた彼は、そこで気付いた。
音がしない。
いや、これは何の音だろうか。
小さく、規則正しい音。まるで、堅い物を尖った刃で叩くような音が近付いてくる。
そう、鋭い爪を持つ獣が、石畳の床を歩くような。
瞬間心臓が跳び跳ね、アルバーノは危うく失神しそうになった。
早く逃げなければ死ぬ①と分かっていても、ほとんど視界の利かない暗がりの中では全てが手探りだ。
強く噛み締めすぎた唇から血を滲ませ、目を血走らせて扉を探るその姿はなんと滑稽な事か。
それでも運命は彼に味方したか、ようやく扉を開け貯蔵庫に逃げ込んだアルバーノ。
彼は重厚な鉄扉に閂をかけ、少しでも生きる希望に縋ろうと必死で息を押し殺していた。
「お前はいつから魔物になった。それとも、産まれた時からそうだったのか?」
アルバーノにその言葉が届かぬ事は承知の上で、人狼──男は呟いた。
「なぜ俺は人としても狼としても生きられない存在として産まれてきたのか。いっそお前のように、心から獣(けだもの)であれたならどれだけ良かったか」
返り血でじっとり濡れた男の指先が、薬指⑦に残る指輪の残映をなぞる。
「ああ、カリーナ。
俺はもう、君と出会えたことさえ恨んでしまいそうだよ。
カリーナ。俺は……獣のままで良かったのに」
アルバーノは暗闇の中で震えていた。異様なまでの寒さに歯の根が合わないが、それは彼の肉体が生き残ろうと足掻く末の錯覚にすぎない。
アルバーノは神に祈っていた。散々口汚く罵り、嘲笑ってきた神に。
だがこの世界の神はきっと、誰も救ってはくれないのだろう。
彼の背後の壁がミシミシと嫌な音を立て始めたのは、それからすぐの事だった。
──────
サン・マルコの街に狼の遠吠えが響く。
その哀しげな声は誰に届く事もなく
遠く、遠く
寄る辺なき空へと消えていった。
【解説】
殺された恋人の復讐を誓う男。
彼は敵(かたき)の従者達の返り血に濡れる手で、敵が籠城する地下室の壁を破壊したのだった。
CARNIVALー終演ー
[編集済]
因果応報自業自得で倍返しなんて生ぬるいレベルのしっぺ返しを食らった話。
こういうクズい奴がやり返されてるのってスッキリしますよね!(爽やかな笑顔) ある意味エモンガ。
あと人狼が普通の女性と恋仲だったというところが完全に美女と野獣で王道エモンガ。
2作品も創り出してくれてありがとうございました!
僕にとっての大都市直下のあの駅、それは青春②だった。
高校生の頃から駅近に勝手に始めて、段々と人が集まって増えて、盛り上がりはその数だけ増していった。
こんなの誰にも描くことができない⑥代物だ。あなたは本物の、天才だ。
通りすがりのカメラマンの女性に、そんなことを言われたときもあった。聞けば彼女の姉は僕と同じ夢を追うもの。件の姉もまた、曰く天才。たった今、船に乗ったその姉を見送った帰りといった。
あっあの!これ、私なりのささやかなプレゼントですっ!
いつも立ち寄ってゆく子からは花束を貰った。彼女はずっと一人で練習を重ねる中で、いつか天才の男の子を振り返らせたいといった。この花束は、花の知識が豊富な若い女性がやっているあの花屋のものだったろうか。
色んな人に会った。ただ僕の青春は、そう長く続かなかった。駅では公共の福祉が叫ばれ、僕はスランプに陥る。両方から強い挟み撃ちを受けた僕は、その都会からいつしか去っていった。
そんな日常に光が差したのはいつだったか。この街に来て、また同じことを始めることにした日。
天才と賞賛されたようなものはもう描けない気がしたが、また誰かを盛り上げたいという気持ちは強くなった。例え、翳りの思い出無くしてでも。
僕はその日、部屋にあった仮面を手に取り、相棒を担いで目的地を目指すことにした。この仮面は、何年生だったかの後夜祭で、調子にのってチキンを振り回していた代の、文化祭の仮装道具。思い出からはまっさらに生まれ変わって⑤始めるために、顔を覆うように着けられた仮面は、スランプの正体みたいに不気味だった。
++++++++++
あ、お客さんありがとうございまーす!
思わず言ってから、少し興奮しすぎた自分を確認した。何てったって、一度は冷たい一瞥ばかりに去ってしまった人が、今度はどれどれーって足を止めてくれたのだ。甚だしく、喜びも一入続いていくというもの。
始めは軌道に乗って行かなかった路上ライブも、徐々に人が集まるようになった。やっと見つけた路上ライブ許可地は遠方で、一曲分の時間しかいられないのに、ほぼ毎日通うくらいにここが好きになった。やっぱり僕には、音楽がかけがえのないものなのだろうな。大したことはやっていけないけど、ひっそりとでもここで演奏したい。そう思えた。
ここに来てから作った一曲が終わると、拍手が自然と起こる。貰えた拍手には、先程の女性のものも混じっていた。ひゃあー、すっげぇ。感心、って言葉が似合うその表情は、額縁に入れて飾りたいくらいに僕の宝物だった。誰かを盛り上げること、これが一番の幸せ③だった。
ありがとうございましたー!はーい、拍手ありがとうございまーす!
仮面を着けることになれた口は、歌声のあとに快活な御礼を述べた。その嬉しさに満ちた表情は、誰からも見えていない。
それからいくらか経ったとき。帰りの電車に間に合うようにそそくさと帰ろうとした僕に、誰かが声を掛けた。
すみません、少しいいですかっ!?
僕が了承するのを口火に賛美をダイナマイトさせた彼女は、二回目に足を止めてくれたあのときからの常連さんだった。僕がここに着くのと同じくらいにタイミング良く通りかかってくれるのは、僕の気運が良いのか何なのか。一番熱心に聞き入ってくれる彼女の熱弁は、聞いてるこっちが照れてくるくらいだった。
彼女はきっと、僕と同じ憂鬱を抱えているから、共鳴できるんだろう。聞けば近くの工場の社長らしいし、ぱっと見はほぼ同い年の彼女には苦難がたくさんと多そうである。
本当に嬉しいです、励みになります。
一言返すだけで、彼女の手は冷え性が辛い人みたいに震えながらに握られる。それが僕のギターに魅せられたからだと意識しても、なかなか実感が湧いてこなかった。
…
はい!お気をつけて!さようならー!
ただ、初めて逢ったときの冷たい一瞥と、彼女の別れ際の笑顔。それらを比べると、なぜだか心臓が熱くなるのだけは確かだった。
手を振る彼女の左手はまっさら。そのありのままの薬指にやけに注目していた⑦のはどうしてか。路上において魅せられていたのはひょっとしたら…。
…今度、彼女に感謝を伝えよう。手紙にでも綴って。
関係ないことを考えて、そんな気持ちをごまかす。しかし後に頭をよぎったのは、とある迷信のことだった。
今日はさんま⑩と煮物だぞー!
ちょっとー、人参は○よりも☆を型どった方がお洒落だっていったじゃない、おじいちゃん!
帰り道に聞こえる会話と、夕食の香りが漂う⑨民家を通る。「おじいちゃん」は返答にこう言っていた。
「神ノ怒リ」が来なすれば、暫くさんまは食べらんからな。味わて喰え喰え。
神ノ怒リ。曰く、100年に一度襲来する大型台風。
あの彼女に教えて貰った伝えを反芻しながら、謂われもない迷信に不安になる。一体どうして、こんな空虚な不安を煽ってくるのか。
+++++++++
結論から言おうか。
迷信は、本物になった。
あれは、神ノ怒リといって相応しいだろう。
僕が遠方から来てライブをしていたあの街は、凄まじい台風によって沈められた。
街自体、全体が、大きな自然の暴風雨に沈んだのである。
ローカルニュースを越えて報道されたその事実に、僕は呆然と鉛筆を落とすことしかできなかった。
彼女に送ろうと綴っていた手紙。青い色鉛筆ばかり買うせいか、探すのに苦労した黒鉛筆は、間抜けな音を立てて転がった。
小さな雨に濡れたその手紙を、彼女に送ることはなかった④。生きていた中でその日、その水曜日の朝が一番しんどい、そう断言できる衝撃が、通過した。
彼女は、一体無事だろうか。
僕がもう一度その街を訪れるまで、3年の月日が流れた。卒業して、企業に就職して、それでも部屋にあるギターだけは捨てられなかった。そんな時代。
規制が一部解除されるのをHPで知った僕は、一刻も早くとやって来た。僕のもうひとつの故郷を哀悼するため、そして、彼女を見つけるため。早くしないと大変①だという、どうしようもない気持ちだけが、僕を責め立てていた。
ここからはボートに乗って移動して下さい。そう言って先導しようかと乗ってきた職員さんのご厚意を、僕は断った。とても申し訳ないが、この人の先導では、あの工場まで道案内しない⑧だろうと思ったから。
最寄り駅からどんどん「路上」に近づく道を漕ぐ。帰り道のあの民家からは3年前の夕食の香りはしないし、庭のデイジーの花畑も面影を失っている。
ボートから見た「路上」には、あの暖かさも隆盛も、懐かしさだって流され去り、消えていた。3年という月日が経ったって覚えていたあの景色は、もうここにはない。
思わず身を乗り出して見たとき、鞄からあの仮面が剥落した。思いに駆られて引っ張り出してきたその仮面を拾おうと、濁った水に手を突っ込んでから、ふと感じた。もう、過去を隠して歌うことで盛り上げられる誰かなんて、ここにはいない。
水面から手を出し、絶望が身体を支配する前に緩慢な動作で漕いだ船は、やがて彼女の切り盛りする工場へ辿り着いた。建物は一部が崩落していて、当然灯りもついていない。やはり職員さんを連れてこなかったのは正解だった。こんな危ないところ、誰だって入ろうとはしない。
こんな危ないところ、入ったって何の慰めにもならない。
名前も知らない彼女を探すのに、僕には工場跡しか場所が思い当たらなかった。助かってたとしても行方不明だとしても、こんなところにいるはずはない。頭ではわかっていても、突き進むしかなかった。もしかしたら、奥の奥で彼女が震えているかも知れない。隣には、彼女が言ってた機械、「ミーハーちゃん3号」だってあるかも知れない。馬鹿みたいなことを考えながら、僕は中に侵入した。
灯りなんて持参していないし、何より無気力なのに必死だったから、工場跡の暗闇の中でも漕ぐ手は止まらなかった。
【暗闇の中、灯りもつけずに立ち尽くす男。彼は濡れた手で目の前の壁を壊すことにした。】
僕は立ち上がった。目の前には今にも崩れ落ちそうな壁がある。もう止めようかとも思ったが、立ち尽くしている自分が虚しくなったのが契機となった。
僕はそのまま、濁った水で濡れた手で、ゆっくりとその壁を壊した。
…
暗闇の中、船を漕いでいた。
あの人は、彼女は。
僕の音楽で、一番に感動してくれた彼女は。
一体どこにいるんだ。
すると、背後から誰かの怒号が響いた。
おい!君、そこは危ないから出てきなさい!
時間切れ、か。そう思って、陽光差し込む入り口の方を振り返った。
その姿に、思わず目を見開いた。
そこに浮かんでいた船に座って、声を上げる職員さんの隣から怪訝そうにこちらを窺うのは。
…やっと、見つけた。
やっと見つけた、やっと逢えた。
動揺と衝撃から、思うように声が出なかった。暗闇に僕はそれから、無意識にある一曲の口笛を吹いていた。「天才」だったあの頃のものではなく、ここに来てから綴った一曲のもの。
オールを動かし、船を入り口に戻す。光が差して顔が白日⑤の下に晒されるが、一切合切の意識渦中にはなかった。
彼女の呆然とした表情を見ると、安堵して声が出せるようになった。この声は、この歌は。いや、アーティスト「雪国」そのものは、彼女に生かされていたのだと、そう感じるような。そんな気がした。
すみません、ある人を探していたんですが、今見つかったので良かったです!
探していた、ある人。
その人の前で、また僕は詩を歌った。
誰かじゃない彼女に、伝えるために。
頭ん中に君が溢れてさ、どうしようもないこの気持ちが
膨らんで 大きくなって
居ても立ってもいられなく なってしまう
この気持ちが
君に 伝えられると良いな
(本文総字数 3880字+α 要素数10+α)
※この作品はフィクションです。実在の人物、団体は一切関係ありません。
【簡易解説】
大型台風によってある街の全体が沈んだ。
その街で路上ライブをする中で知り合った、名前も知らない女性の台風襲来後の行方や手掛かりを少しでも掴むため、男は女性の経営していた工場跡へ向かった。
男は途中で落とし物を取ろうと濁水に突っ込んで濡らした手で、停電したままの跡地内を更に進むため、灯りもつけず必死になって、行く手を阻む崩落寸前の元工場の壁を壊すことにしたのである。
終わり。
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街は沈んでも君への想いと記憶はそうそう沈まない話。
…うまいこと言いたかった気持ちだけ受け取ってください…。「暗がり」と「濡れた手」の理由が自然です。暗がりなのは廃墟同然の工場跡地だから。手が濡れているのは街が水没しているから。あと男がトップクラスに青春してるのが微笑ましくて思わずにっこりです。
ご参加ありがとうございました!
まっさらに生まれ変わります⑤て!!
何やねんそれ、こんなん白日⑤ひんむきよるよ!!
もう一回すべってを、♪決め直してくれぇー⑤!!
閑静な住宅街に、一人の紛糾が響いた。わりとおっきな声で叫んだ気がする。これはなかなかに後が怖い怖い。意味が解らなくても怖い。
でもまあ、もう決まってしまったものだ。とりあえずお開きにしよう。スマホを切り、僕はキッチンに向かった。といっても夕食を作るのではない。遅めの夕餉は「開封」するものである。
「7と11」みたいな名前をしたお店から買ってきた冷凍サンマをチンして、ポテトサラダを皿に転がすと、美味しい夕食の香りが漂ってきた⑨。
それを貫くか、貫かんか。
僕の大大大好き、三度の飯より四度の飯より好きなもの、それは青春②。この問題文と要素の中で、このテーマをするりするりと通すことが吉か否か。僕は独り言を並べてそれを考えるのが趣味で、ご飯を食べながらテーマを考える時間、これが一番の幸せ③になって日々奮闘できている。
…こんテーマじゃあどうしてもさんまを描くことできらん⑥しなぁ。
…このさんまめちゃ美味しいな⑩!きっと工場でおふくロボが丹精込めて製造してるんだろなぁ。
…それにまっさらにも生まれ変われんし。歌ってる人も言ってるよ、イメージへばりついて離れんて。
…かぁーどうしたものであろうか。こんなことをしていてはいけない。締め切りがあるのだから早くしないと大変①なのだ。いくら要素をまじまじじっくり見たところで、これらはすんなり素敵な物語へとは道案内しない⑧。
そのままご飯食べたしお風呂も入ったし、側転も三段跳びもした。それでも思い付かない僕は、まっさらというより真っ暗な部屋に一人、布団の中で考えていた。
壁を壊す。…ことに、した。難しい難しい。壁を壊すなんて、ぱっとなら漫画みたいな筋肉の漢!が打ち破る場面しか想像がつかない…。しかもその手は濡れる、濡れている。
…濡れた手に崩れた壁。どこかで見たことがあるようなないような…。
…!
眠りにつこうとした僕はそこで、慌ててスマホを開いた。いつものメールアプリの未送信メール④BOXからメモ帳代わりの下書きを起ち上げると、薬指でアイデアを綴り始めた。腱鞘炎の人差し指及び中指に変わった、代打の薬指は今しがた貴重な存在⑦である。
越えられる… いや、壊せる…!
15回の自身の作品と見比べながら、僕は確信していた。革新的に核心に近づいていると。
この二つを繋げて、「物語の壁」を壊せる!!
一通りメモを走らせた僕は、ひとつ上の「ネタ帳」と重ねて更新し、スマホの電源を切った。途端に広がる暗闇に、立ち尽くす僕。
決めた決めた、これで決まり!来い来いシェチュ王!待ってるよ!あったかいラテアートとカカオチョコが、あなたを精一杯歓迎します!
興奮に汗ばんだ手。僕はこの手で、滅多に壊せない個々の「物語の壁」を壊すことを決めた。
よっしゃ!いくぞ、これが「私の」、正解だぁーー!
…
…あれ?
…私っ…?
「あっ、良かったぁ~ やっぱり女性の方じゃないですか~ 私もそう思ってたんですよ!」
どこからともなく声がする。さっきまで「僕」と自称していた一人の男は、今は「私」。ふと下を見ると、私はさっきの青いボーダーTシャツではなく、ゆったりした部屋着のワンピを来ていた。よく見ると手も、さっきより細くしなやかになっている。
あっあれ??
私は女性だったんですか…?
「違いますって!あの人は男性ですよ!でなきゃあんなにガサツな文章になりませんてば~」
その声に反応して、俺の寝巻きは灰色一色になった。手も大きく太くなり、堅そうな拳になる。
あれ、やっぱり男性?
あれーっ?
「男性がこんなに私、私なんて多用しませんよ~ きっと女性です!毎日タピオカ飲んでるのにスタイル抜群の完璧女子高生に決まってます!」
今度はウチの寝巻きが、マジ卍な可愛いヒヨコ柄のピンクウェアになった。
「違う違う、彼はきっと純真無垢な男の子ですよ!サッカー部キャプテンで超イケメンなんでしょう!?」
「いやいや!」「そうじゃない!」「私はこう思います!」「や、きっと!」
誰のものでもない声が、せわしなくその人の姿を変える、変わる、変化する…。
あれ、あれれ、あれあれ~!?
その変貌に混乱していくその人は、やがて暗闇に紛れ、どんな見た目をしているのかさえ判別がつかなくなっていった。
唯一わかるのは、その人が胸元につけているバッジ柄が、水色に傘マークつきなのだと言うことだけ。
…はてさて一体、誰のこと?
(本文総字数1830字 要素数10)
※この作品は史実を元にしたフィクションです。実在の人物は少しだけ関係します。おそらくは…。
【簡易解説】
真夜中にスマホにアイデアをメモし、創りだす方針を固めた男(?)は、スマホの電源を切ったまま立ち尽くし考えたのち、その汗ばんだ手で自身のアイデアを形にすることで、試練のように眼前にそびえる自身の創りだす作品の「物語の壁」を壊すことにしよう決めた。
雨止み、Fin.
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問題文と選ばれた要素が難しくて男(?)が自分がどうなのか分からなくなってる話。
なんかゴメンって思いました。なんかゴメン。要素をコンパクトにまとめて回収する手腕、匠ですね。自分は「壁」は物理的なものと精神的なものの2通りイメージしていたのですが、「物語の壁」は完全に思考の外でした。これぞ水平思考!やられました!
2作品も創り出してくれてありがとうございました!
【簡易解説】
小学校の卒業制作として旧校舎の壁に絵を描いた男。その際こっそり描いた妖精の絵のモデルが片思いしている相手であると本人にバレそうになったため、絵の具で塗りつぶそうとする。しかし、雨が降ってきてそれが叶わなくなったので壁を壊して絵が見られないようにしようと決意した。
【詳細解説】
人は誰しも思い出の味が一つや二つあるものだろう。何度も食べたお袋の味、苦しい時に食べた苦労の味。しかし、初恋の味を覚えている人はそう多くないのではないでしょうか。
世間的には「初恋はレモンの味」なんて言われるけども、実際にレモンが思い出な訳ではないでしょう? でも、私には初恋の味がある。この時期になるとどうしても食べたくなる、あの味が。
◇ ◇ ◇
彼と初めて話したのは小学校6年生の冬。3学期が始まってすぐの頃だ。そのとき、福祉委員会なる委員会に所属していた私は、書き損じ年賀状の回収をするために、毎朝昇降口に立っていた。
「みなさんから回収したはがきは新しい紙に生まれ変わって再利用されます。⑤ ぜひ、書き損じた年賀状やはがきを持ってきてください」
今となっては個人情報が書かれたはがきを子どもに集めさせるなんてとんでもないけども、当時はまだまだ大らかな時代だった。友達の住所を書き間違えたものやら、みかんの汁でべとべとになったもの、これがいい機会と言わんばかりにおじいちゃんおばあちゃんが友人に宛てて書こうとしたであろうものまで、そこそこ多くの送られなかったはがきが集まった。④
そうして昇降口に立つこと1週間。今日でこの仕事も最後となった朝。
「あの、これもいいですか」
ぬっ、と私の前に影がかかる。慌てて上を向くとそこには私と同じ6年生の赤い名札を付けた男子がいた。
(あぁ、この子が噂のでっかい転校生ね。)
こんな時期なのに隣のクラスに男子が転校してきたのは知っていたが、ここまで大きい─確か当時で既に160㎝は超えていた─とは。背の順でいつも先頭争いをしている私にとっては、彼はもはや壁のようだった。
そんな彼の手にははがきの束が。一番上のはがきには迫力のある虎の絵が描かれていた。
「もしかしてこれ、キミが描いたの? カッコイイね」
思わずそう言っていた。彼は恥ずかしそうに「書き損じだから」とはにかんだ。
「えー、でも上手だよ! 私なんか今度の卒業制作の絵も描けなくて困ってるのに⑥」
「卒業制作?」
転校してきたばかりだからか、彼はピンときていないようだったので、旧校舎の壁に6年生全員で絵を描くこと、一人ひとり担当が決まっていて私はウサギが担当であることを説明する。
「へぇ、楽しそうだね」
「そんなことないよ、私が描くと可愛くないウサギになっちゃうもん。……あ!」
この時の私の一言がすべての始まりだった。
「絵、教えて!」
◇ ◇ ◇
それからというもの、毎日のように彼に絵を教えてもらった。本番まで日が無かったし、彼も引っ越してきたばかりで放課後に遊ぶ友人もいないようで、好都合だった。
……とはいうものの、何かと敏感な年頃だ。放課後に男女で二人きりは周りの目が気になる。かと言ってお互いの家にも行きづらい。そこで、私のとっておきの場所を案内した。
「すごい! 町が全部見える!」
「でしょ?」
展望台のある、高台公園と呼ばれる場所だ。公園と呼ばれるものの、高台を上るのが面倒なのと、遊具も広場もないため、小学生はほとんど来ない。代わりに少し開けた展望台にはベンチとテーブルがいくつか。絵を教えてもらうには十分だ。
しかし、その時は1月。外で鉛筆を握って絵を描くなんて無謀すぎた。
「寒くて手が震えちゃうよ」
ただでさえ、へにょへにょなウサギが3割増しで可愛くない。
一方、彼が描くお手本は見事なものだ。最初は年賀状の虎のようなリアルなものだったが、私のレベルを知るとキャラクターのようなデフォルメした絵を描いてくれるようになった。
「鉛筆の持ち方を変えるといいかも。こうやって、薬指で支えるようにして」
そう言って私の手を彼の手が包み込む。身長差はもちろん、手の大きさだってかなり違った。
温かい大きな手になぜだかドキドキした。
「この薬指で支えるのが大事でね⑦……」
一生懸命に説明してくれたけど、そんなのが耳に入らないほど心臓がうるさかった。
◇ ◇ ◇
あのまま高台公園で練習すると私の心臓が寒さと何かで破裂しそうだったので、次の日からは私の家が練習場所になった。急に大きな男子を連れてきたから母は驚いていたけども、「絵を教わるだけだから」との私の言葉に一応は納得したようだった。
彼のお手本を集中して写してはアドバイスをもらい、を続けて気付いたら夕ご飯のいい匂いが漂ってくる時間になったのも一度や二度ではなかった。⑨
そうして迎えた卒業制作本番の日。私は彼が描いてくれた下書きをポケットに忍ばせ、旧校舎の壁と向かい合う。ちらりと彼のクラスの方を見ると、脚立に乗った彼が空の色を塗っていた。背が大きいのと、もうそこしか担当が残っていなかったのだろう。
彼の姿を見たことで、自信が湧いてきた。
(あれだけ教えてもらって練習したんだから、大丈夫)
その日描いたウサギが今までで一番、可愛く描けた。
◇ ◇ ◇
無事に卒業制作を完成させ、卒業式、入学式も終わり。
中学に入った彼は周りから「その体格なのにもったいない」と言われつつ美術部に入った。
「やっぱり絵を描くのが一番の幸せだし③」
そう言って、初めて話した時と同じ顔で笑っていた。
私はというと、なんとなくで卓球部に入り、毎日のように部活に励んでいたため、彼と私の放課後レッスンは無くなっていた。
それでも、帰る時間が重なれば一緒に帰ったり、テスト前には一緒に勉強会もした。……もちろん、美術の実技も教えてもらった。まあ、その代わり私は彼に数学やら英語やらを教えたけども。
珍しくお互いの部活が休みだった、中2の秋のある日だった。
もう彼に道案内をしなくても来られるようになった高台公園に自転車で集合して、とりとめのない雑談をしていた。⑧
「そういえば、小学校の旧校舎の壁の絵に、綺麗な妖精の絵が描いてあるんだって。知ってる?」
同じ小学校だった子から最近聞いた話を彼に聞いてみた。
「妖精?」
「そう。結構高いところに描かれてるから見にくいんだけど、兄弟の運動会を見に行った子が写真を撮った時に見つけたんだって。明日は土曜日だからみんなで見に行くことになったんだ」
一緒にどう? そう誘おうと彼の顔を見ると、真っ青になっていた。
「……どうしよう」
具合でも悪いのかな、と私が考えている間に「ごめん!帰る!」と叫んで彼は自転車に乗って帰ってしまった。
「何かマズいことでも言ったかなぁ。……あ、マフラー忘れてるし」
具合悪そうだったし、届けてあげよう。そう思った私は彼の家に向かった。
◇ ◇ ◇
ここから先は、のちに彼に聞いた話だ。
私と別れ、家に帰った彼は部屋にあったありったけの青い絵の具を持って小学校へ行った。
目的は、妖精の絵を消すため。
そう、噂の妖精の絵は彼が描いたものだったのだ。空の色を塗った際に書き足したそうだ。ただ、背の高い彼が脚立に乗って描いた妖精は、完成当時、誰にも気づかれることはなかった。
「早くどうにかしないと大変だ……!①」
だって、その妖精の絵は。
「よりによって本人に見られたら死ぬ……!」
小学校までの道のりを自転車で駆け抜けながら、描いた時の自分を責める。
(なんで描いたんだ、俺! いくら気になってたからって、さすがにあれはそのまますぎる!)
転校してすぐ、友達もいない俺の絵を褒めてくれて、1か月弱、毎日のように放課後を一緒に過ごしたのだ。気にならない訳がない。当時は感謝の気持ちもこめて、とかなんとか思っていたけど、今思えば完全に惚れていたからだ。
秋の日暮れは早い。小学校に着いたころには完全に日は沈み、職員室にわずかに灯りが見えるだけだった。こんな時間に入ったら不審者扱いだが、背に腹は代えられない。旧校舎側のフェンスをよじ登ると、絵の前まで行く。
(何か、踏み台にできるもの…)
背が伸びたとはいえ、さすがに届かない。【問題文】職員室の灯りも届かない暗闇の中、目を凝らして辺りを見回す。
その時。
ぽつり、と雨粒が彼の顔にかかる。その数は次第に増えていき、彼の全身を濡らしていった。
(くそ、濡れたら絵の具が流れてしまう。明日までに乾くとは限らない。どうすれば……)
【問題文】彼は濡れた手で旧校舎の壁を触る。
(古い木だし、手さえ届けば壊せるか…!? 妖精の絵が見えなくなればいいんだ。よし、もうそれでいくしかない)
そう決意して再び踏み台を探し始めた時。
「なにしてんの!」
傘を差した彼女が現れた。
◇ ◇ ◇
とりあえずフェンスを乗り越え、こちら側に来るよう言う。近づいてきた彼の手には青い絵の具がいくつも握られていた。やっぱり、そうだったのか。
持ってきたもう一本の傘を差しだしながら言う。
「チャリ、押そうか」
「……大丈夫」
彼は青い絵の具をポケットにしまうと自分で自転車を押し始めた。
「なんで分かったの、俺がここにいるって」
「おばさんが、小学校の方に行ったって言ってたから。……やっぱり、妖精の絵を描いたのは、」
「俺」
「消そうとしたの?」
「うん」
「なんでか、聞いてもいい?」
その問いに返ってくるのは雨音ばかりだ。
「私、なんとなくね、気付いてたの。だって、あの時、あの場所に絵を描けたのは君だけしかいない。しかも、小学生で『綺麗な妖精』なんて描ける人もそうそういないし」
「誰かが描き足したのかもしれないだろ」
「まあね。でも『私に似てる』って言われちゃったら確実でしょ」
「……そこまで知ってたのかよ」
「実物を見てはないけどね。絵を見た子が言ってたんだ。『小学校の時の私にそっくり』って」
「あぁ、そうだよ。俺が描いたんだ。……お前のこと、好きだったし」
「……え?好きって何?」
「……は?そこまで分かってたんじゃないの?だから俺、あの絵を消そうと」
「いや、単に恥ずかしいからかなって」
「うわぁぁぁぁぁ!自爆した」
「まあ、その話はさ、君んちで聞くよ」
「いや、あの、その、ちょっと待って」
それは私のセリフだ。
◇ ◇ ◇
彼の母に、無事に彼と会えたことを伝えようと玄関から声を掛けると。
「あらあら、2人ともびしょぬれじゃない! ずぶぬれで帰ってくるなんて青春ねぇ!② でも今の時期じゃ風邪ひくわよ、上がって上がって。着替えくらい貸すわ、どうせうちの子が何か迷惑かけたんでしょう。あんたはとりあえず風呂!」
「いえ、そんな……」
彼の母の親切がいつもならありがたいが、今は気恥ずかしい。
「あ、今ちょうど秋刀魚を煮ててね、よかったら食べてって! 今着替え持ってくるわね」
「……アリガトウゴザイマス」
いつの間にか、彼はその場からいなくなっていた。
◇ ◇ ◇
その後に気まずーい中、彼と一緒に食べたのが、秋刀魚の煮物だった。⑩
あの味は一生忘れられないだろう。甘辛くて、肝がちょっと苦いあの味が、その時の二人の距離感そのもの。それが、私の初恋の味。
この時期になると、お義母さんが作ってくれるのが楽しみでもあり、恥ずかしくもあるのです。でも毎年、初恋の味を楽しんだっていいでしょう?
【終わり】
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リア充馴れ初め話。
あぁ~2人とも青春してて可愛いですね!癒されました!
【⑩さんまをたべます】がここまで溶け込んでいるのは凄いです。さんまに限らず全ての要素を自然かつ納得度高く回収されてる技量、匠です。ラスト2行でエモが天元突破して無事仰げば尊死ました。(?)
ご参加ありがとうございました!
[正解][良い質問]
【簡易解説】
無実の罪により投獄された男。彼は脱獄のために刑務所の床の下の暗い地下道を掘り続けた結果、出口につながる壁を見つけ、その壁をこれまで地下道を掘っていてぬれていた手で壊して脱獄に成功したのだ。
【本文】
「はあ・・・はあ・・・。」
ここは刑務所。その下にある暗い地下道の中を一人の男が這いつくばっている。道案内なんてしない、というかできない。(8)ただひたすらに出口を探しているのだ。
彼の名前はカメオ。カメオは今、この刑務所の中を抜け出そうと必死だ。今のうちに早く逃げないと職員に気づかれて大変なことになる。(1)
ところでなぜカメオは今、刑務所を抜け出そうとしているのか?答えは簡単だ。刑務所に投獄された理由が無実の罪であるからだ。
今から10年前の事だ。カメオは当時、ごく普通の大学生だった。当時、カメオはある一人の女子学生と付き合っていた。カメコだ。カメコとの恋、それはまさに青春だった。(2)しかし、その青春も長くは続かなかった。
カメコとその家族がある日、何者かによって殺害されたのだ。凶器はカメコの家にあった万年筆だった。犯人は万年筆でカメコや家族の心臓を何度も刺すというむごたらしい方法で殺害したのだ。そしてカメオはカメコたちが殺害される1日前にカメコが大学にもっていったその万年筆を貸してもらったことがあったため、その際に付着した指紋とカメオの薬指の指紋が一致し、逮捕されたのであった。(7)カメオやカメオの家族は何度も無実を主張したものの、犯人がカメオでないという確実な証拠を示すことは難しく、1年前に死刑の判決が下された。
それから1年たったある日のこと、カメオは死刑囚用の独房の中にひっそりといた。周りの死刑囚の中には家族や支援者に向けて手紙を書く者もいたが、カメオは独房に備え付けられている万年筆を見るとあの忌まわしい事件を思い出してしまい、手紙を書こうと思っても筆を取ることすらできず、結局手紙は真っ白のまま送られることもない。(4)かつてカメオは絵を描くことが好きだったが、それもできなくなってしまった。(6)やがて、朝食の時間となり、カメオの独房に朝食が配膳された。刑務所は意外と食事はしっかりしており、この日はごはんとみそ汁にさんまの塩焼きと野菜のお浸しというメニューだった。カメオはさんまを頬張るとこんなことを思った。(10)
「なんで俺はこんな部屋でさんまを食べているのだろう。俺はこんなことやっていないのに・・・。」
次第に彼はこの自由のない独房から抜け出そうと思うようになった。
脱獄は楽ではない。まずは脱獄用のルートを調べる必要がある。カメオは刑務所の運動の時間や労働の時間にこっそり床や地面をたたいて地面が緩くなっている部分を探し、脱獄ルートを想定した。もちろんカメオの独房の中も調べた。その結果、独房のベッドの下の床が地下道につながっていることがわかり、カメオはそこから脱獄しようと決めた。
そして決行の日の朝、カメオは警備員の見回りの時間を終えるとこの日に向けてひそかに掘っていたベッドの下の床の穴に入った。
さて、脱獄を決行している今のカメオに戻る。カメオがしばらくはいつくばっていると、やがてカメオが一人で立つことが出来るぐらいの大きさの地下道を見つけた。カメオはそこで暗闇の中で明かりもつけずに立ち、ひたすら出口を探した。しばらくして、行き止まりの壁についた。「もはやこれまでか・・・。」そうカメオは立ち尽くすも「いや、まだあきらめてはいけない。」と思い、その壁を叩いてみることにした。地下道を潜る中で手は濡れており、壁を壊せるか心配だったのだが・・・。
「ゴン」
カメオがある壁の部分をたたいた時に、壁が崩れる音がした。よし、絶対脱獄に成功するぞ。カメオはそう思った。
その壁を壊すと、一筋の光が見えた。そして外の様子を見ると街の道路が見えた。カメオは確信した。絶対脱獄に成功できる。カメオは無我夢中で壁を壊し、人がやっと1人通れるぐらいの穴ができたところで体を外に出した。
「ああ・・・。やった・・・。」カメオは外に出るなりこういった。外の月の光はまるで自由を手に入れた彼を祝福するかのような光だった。しばらく街の外を歩くと、夕食の香りが漂ってくる。(9)自分の手で自由をつかむことが出来たこと、それは彼にとって1番の幸せだった。(3)。さあ、次は何をしようかな。カメオはこうして自由を手に入れてまっさらに生まれ変わったのだった。(5)(終)
冤罪で投獄された男の脱出劇。
定期的に無能になる警察さんチッスチッス。
問題文から連想されるストレートな解説で、スッと入ってくる文章でした。【⑨夕食の香りが漂ってきます】で牢獄から脱出できたことを表現してるところに匠を感じます。
まっさらに生まれ変わったあとのカメオの未来に、エモンガ。
ご参加ありがとうございました!
皆様はじめまして、本日は私の集めた俚諺の一つをご紹介いたしましょう。
それでは、「濡れ手に泡」の始まり始まり…
―――――――――――――
「…えー、であるからして、このようにセッケンの構造は親水基と呼ばれる丸い部分と疎水基と呼ばれる棒状の部分によって作られており、これらがコロイドを形成することで…」
毎日繰り返される授業、それは岩代・輝(いわしろ・てる)にとって退屈な時間です。
彼は潔癖症などのせいで友達がいません。周りが楽しそうに話していても壁があって混ざれない。そんな彼がどんなに試みても描けないもの、それが青春でした。⑥②
教室の片隅で窓の外に広がる景色をふと眺めると、斜面に立ち並びつい先日まで眩しいほどに碧々と茂っていた木々は皆静かにカーキに染まり眠りにつこうとしています。
「海、見たいな…」
ふと口にでた言葉。それは彼の中に不思議な情熱を灯しました。山と木々に囲まれた海なし県で生まれ育った彼にとって海は憧れの場所でした。
翌日、輝は今まで皆勤だった学校を初めてサボり除菌スプレーを片手に電車に乗りました。潔癖症の彼にとって公共機関に乗る時はアルコール除菌が欠かせません。
一度乗り換えて、誰も居ない列車に揺られ数時間。人気のない海辺へたどり着きました。シーズンはとっくに終わりクラゲが揺蕩う秋の海。人気のない物静かな雰囲気に彼は時間を忘れて微睡んでいました。
ぼうっとしていると、だんだんと今までの嫌なことをすべてさざなみに流してしまいたくなってきます。
ザッ ザッ 無意識に輝は海へ向かって歩み寄り、服が濡れ靴に水が入るのも厭わず進んでいきます。そして、ついに輝は意識とともに深い海へと沈んでいきました。
深い海の底で、一人の人魚が輝に気づきました。彼女は輝を見るやいなや、沈みゆくその華奢な身体を掴むと水面に昇り砂浜へ横たえました。
「…なんで私、助けたのかしら。」
横たわる彼を見て改めて自分のしたことを思い返す少女。ですが、その理由はどんなに考えてもわからなかったので仕方なく海中へと帰っていきます。
その日から、少女の瞼の裏には彼の顔が焼き付いたように浮かび出てくるようになりました。
「そりゃあ、恋ってやつだね。一目惚れしちまったんだなぁ。」
後日少女が彼のことが忘れられない理由を物知りな魔法使いに尋ねると、そう返されました。
「要は、あんたはその男とくっついて夫婦になりたいと思ってんだよ。」
「め、夫婦…」
ストレートな言葉に彼女は真っ赤になってしまいます。
「でも、私は人魚で…」
「確かに、あんたは人魚でその男ってのは人間だ。でも方法が無いわけじゃあない。」
怪しい笑みを浮かべて魔法使いは続けます。
「今のお前さんに丁度いい薬があるんだ。試してみないかね?」
「薬?」
そう尋ねると懐から怪しく光る薬瓶を取り出し
「ああ、こいつは人魚が人間になるための薬さ。」
「人間になれる薬…ください!」
途端に食いついた彼女を無視して魔法使いは
「だが人間になったら人魚に戻る事はできない。その薬は月の光でお前の体を一時的に人間にしてくれるが、その状態じゃあ新月の夜を越すことはできないだろう。泡になって消えちまう。」
「そんな…」
落胆した様子の少女に優しく言葉を続けます。
「だけど、一つだけ助かる方法がある。
愛する人間に抱いてもらうことだ。」
「だっ、抱く…!?」
「おっと、勘違いするんじゃないよ。変な意味じゃない、文字通り抱きしめてもらうだけで十分さね。それでお前さんは晴れて完全な人間だ。まあ、人魚の残滓が多少残るかもしれんがね。
それでいいなら…いるかね?」
少女がうなずくのを見ると、魔法使いはニヤリと笑って薬瓶を渡しました。
新月の晩、少女が月が沈むのを見届けて魔法使いからもらった薬を飲むと、魚の下半身は2本のしなやかな足へと変わりました。
「私は…私の名前は…」
輝は砂浜で目を覚ましました。全身ずぶ濡れで、整えてあった髪もボサボサになっています。
「…着替えなきゃ。」
幸い、終電がまだ残っていたため彼は帰路につくことができました。家につくとまず手を洗い服を洗濯機に入れて浴室へ入り、さらに念入りに体中を洗います。小一時間そうして納得いくまで洗ったら浴槽に入ります。浴室から出た後も両手を石鹸で更にもう一度念入りに洗います。上がるとすぐに冷凍庫から冷凍食品を取り出して温めて食べました。
食べ終えると部屋中に掃除機をかけ掃除を行い就寝しました。
翌日学校へ行くと昨日何をしていたか聞かれましたが、具合が悪かったと言ってやりすごしました。
そんな輝ですが、学校の帰り道で同い年くらいに見える不思議な少女に声をかけられます。
「ねえ、君の家ってどこにあるの?」
深い濃紺の髪をなびかせ訪ねてくる少女。
「…えっと、どちら様ですか?」
「私は伊瀬・依恋(イセ・エレン)、君の家まで案内してほしいの。」
「すみません。貴女のような人を家まで案内する理由がありません。お帰りください。⑧」
「帰るって言われても帰る家が無いの。お願い!」
輝の中で葛藤が生まれます。こんな見も知らぬ他人を自分の家に招くなんて本来ならありえない話です。ですが、なぜか彼女を無下にしてはいけないと心の奥深くで引き止められるような気がするのです。
しばらく迷った末、
「貴女を案内するつもりはありませんが、僕は家に帰らないといけないので失礼します。ついてくるなとは言いません。」
そう言って歩きはじめました。
「じゃあついていっていいって事だよね!
ねえ、君の名前は?」
「輝、岩代輝です。」
「輝くんか、いい名前だね。」
「…べつに。あと、半径2m以内に近づかないで。」
「はーい。」
・・・
「ここが僕の家です。絶対に汚さないようにしてください。」
「綺麗好きなんだね。」
家に入るといつもどおりのルーティーンで風呂に入り食事を食べ掃除をします。掃除が終わると、輝は物置になっていた部屋を一つ依恋に案内しました。
「ここ使っていいの?」
「ええ、絶対に汚さないでくださいね。」
「そういえば、ご両親は?」
「…母は幼い頃に他界しました。父は出張でいつも海外に。」
「そっか、大変だったんだね。」
「いえ、自分しか居なかったので気楽でしたよ。」
「あはは…ごめんね。」
「それでは、そろそろ貴女の目的を聞かせてください。」
「輝君に惚れました!付き合ってください!」
「…はい?」
「えっと、初めて見かけた時からずっと好きで…その…付き合ってください!」
輝は混乱していました。初対面のはずの女性に告白されている、それも嘘や冗談とは思えないほど真剣に。改めて見ると依恋はどこか儚い印象を受ける美少女です。そんな彼女に告白されて悪い気はしません。ですが、だからこそ。
「ごめんなさい。」
「えっ」
「僕、潔癖症なんです。だからどうしても他人と過ごす事は苦手で。」
「でも、私帰る場所が無いんです!」
「…なら、少し一緒に過ごせばわかると思います。1周間もすれば貴女も嫌になって自分から出ていく気になるでしょう。」
「一ヶ月…」
「え?」
「一ヶ月時間を頂戴。その一月で輝君を惚れさせてみせますから!」
「…わかりました。でもその前に貴女が出ていくと思いますけどね。」
こうして、彼らの奇妙な同居生活は始まりました。
「じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。」
「…なんだか不思議なものですね、今まで挨拶する人なんていなかったのに。」
依恋は学校へ通っていないため、学校へ輝が行っている間は家で留守番をすることになります。
・・・
輝が帰ってくると、なんだか家の至るところが綺麗になっているような気がしました。
「なんだか、綺麗になってる?」
「私、お掃除するのは嫌いじゃないんです。」
そう言って雑巾がけをする依恋に、輝には不思議な感情が芽生えはじめていました。
毎日学校へ行っている間、家中を綺麗にしてくれる献身的な少女。彼女ならもしかしたら、そう思う度に輝は手を洗わずにはいられなくなり何度も手を洗っていました。
そんな穏やかな日々が十日ほど経ったある日、依恋はずっと気になっていたことを尋ねました。
「ねえ、輝君。」
「何?伊瀬さん。」
「輝君は寂しくないの?こんな大きな家に一人で住んでて。」
「寂しくは無いよ、伊瀬さんが居てくれるから。昔はなんとも思わなかったけど、多分今同じ生活をしたら寂しいと感じると思う。」
「ふふっ、そっか。」
なんだか自分がいる事を認められたような気がして嬉しくなる。そんな事もありました。
そして更に十日ほど経ったある日、依恋が密かに目標としていた家全体の掃除が終わりました。
「ちょっとでかけてくるね。」
そう言って依恋は輝とともに家を出ると、駅の方へ歩いて行きました。
その日は輝が家に帰る途中、どこからか夕食のいい匂いがしていました。⑨
「ただいま。」
そう言っていつものルーティーンに入ろうとすると、
「ちょっと待って、先にご飯にしない?」
「え?」
「じゃーん!せっかくだから旬の秋刀魚をとってきて塩焼きにしてみました~」
その匂いは、先程嗅いだばかりの匂いです。
「輝君、食べてくれないかな?」
そう言われて断りづらくなってしまいました。
「う、うん。いただきます。⑩」
今まで冷凍食品で食事を済ませてきた彼にとって、その味は初めての味でした。
「美味しいでしょ?」
「うん、美味しい…」
「ちょ、ちょっと!泣くほどじゃ無いでしょ!」
そんな事がありながらも彼は食べ終えるとすぐに水場へ行き体を清め始めます。
いつもどおり部屋を掃除して布団に入る、その最中に依恋は自分に起こった異変に気づきます。
ヌメリ、指先に石鹸水のような液体がついているのです。慌てて洗い流しましたが、その夜はなんだか嫌な予感を胸に眠りにつきました。
次の日も、次の日も、夜な夜な依恋の身体からは石鹸水のような液体がにじみ出て、とうとうある日には小さな白い泡にまでなりました。
『泡になって消えちまう』
魔法使いの言葉が脳裏に浮かびます。ですが、まだ新月の晩には5日ほど猶予があるはず。
そう思っていました。
日に日に泡の量は増え、いつの間にか昼でさえ指先から少しずつ石鹸水がにじみ出てくるようになりました。
こんな姿は見られたくない。そう思いいっそこんな姿を輝に見せるくらいならと置き手紙を残し泡となって消える事を決めました。④
『輝君へ。
私は、もう長くないようです。信じてもらえないかもしれませんが、私は実は人魚なんです。海で自殺しようとした輝君を助けた日、私は一目で恋に落ちました。
私は、君に逢う為に海を捨てて陸に来ました。これまでの生活はとても幸せでした。海の中とは全く違って見るものすべてが新鮮で楽しかったです。ですが、それよりも何よりも、君が一緒に居てくれたこと、これが一番の幸せです③。この前、私が焼いた秋刀魚食べてくれてとっても嬉しかったです。できれば冷凍食品だけじゃなくて自分でも料理したほうが健康にもいいと思うよ?
⚫
⚫
⚫
私、新月の夜が明けると泡になって消えてしまうらしいの。だけど、輝君に抱きしめてもらえれば人間として生きることができるようになるんだって。
ごめんね。こんな風に言うのってずるいよね。未練がましくって本当にごめん。
でも君にとってそれはすごく酷な事なんだと思う。だから私はもう君の前には現れない。だから安心して。
最後の最後まで、ずっと好きだよ。
依恋』
・・・
「なんだよ、なんだよそれ…」
家に帰ると誰も居らず、そこにはただ一枚の置き手紙だけが残されていました。
あまりに非現実的な内容なのに、輝はその生々しい現実味を否定できませんでした。今日の月齢を調べるとちょうど新月。輝は慌てて駅へ向かいます。
一度乗り換え、人気のない無人駅へ。あの時の砂浜へたどり着きました。
・・・
いつの間にか、もうすっかり日は暮れて見えない月が昇っています。
薄明かりに照らされて、波打ち際に佇む陰が一つ。
近づくとそれはやはり依恋でした。ですが、身体は薄っすらと透き通り四肢は少しずつ泡となって散っています。
「依恋!」
「あーあ、間に合っちゃったか…」
少し嬉しそうに、けれどどこか残念そうに言う彼女にかける言葉が見つからず、輝は立ち尽くしました。
「また、大切な人を目の前で失うのか…」
その時彼は、依恋に自らの母親を重ねていました。11年前に死んだ母親を。
それは突然の出来事でした。輝の家に強盗が入って来たのです。輝を守ろうとした母親はめった刺しにされました。それを見た幼い輝は母親を守ろうと無我夢中で強盗に襲いかかりました。偶然か必然か、彼の突き出したハサミは強盗の命を断ち切りました。ですが母親は助からずそのままこの世を去りました。
現場から助け出された輝は、体中に血を浴びてひどい有様だったそうです。そして、それを見た人々は口々に
「汚い」
「人殺し」
「バケモノ」
などと心無い言葉をかけました。幸い、彼が実刑判決をくだされる事はありませんでしたがその事件は彼の心に深い傷を残しました。『自分は汚い人間なのだ』と。
その日から、彼にとって他は綺麗なものであり己は穢れたものになりました。そして常に穢れた自らを清浄に保ち、他人を汚さぬよう壁を築き上げました。
目の前で、まるでその時の再現のように依恋の身体がだんだんと崩れていきます。夜明けが近づいているのでしょう。夜が明けたら、彼女は泡沫となって消えてしまいます。①
「僕が抱きしめることで依恋を助けることができるのなら。」
潔癖症の恐怖で身体が震えますが、そんな恐怖に屈している場合ではありません。
泡を傷つけないように手を濡らし割れにくくして、彼女を抱きしめます。
他人との壁なんて、この際壊してしまえばいいのです。
「輝君。」
「え?」
「大丈夫、君は綺麗だよ。穢れてなんていない。」
その瞬間急に夜が明けて朝日が差し込んできました。その光は依恋の元へと集まり泡となって散っていった身体を補っていきます。そして光が止むと彼女の身体は透けても欠けてもいない元の状態に治っていました。そして、生まれ変わったのは彼女だけではありません。先程の依恋の言葉のおかげで、輝自身も自らが汚れていない綺麗な人間であることを認めまっさらに生まれ変わったのです。⑤
そんな中2つだけ、残った泡がありました。輝と依恋の薬指にまるで指輪のように連なった丸い泡。⑦
それを見て輝は決心を固めます。
「依恋、僕と付き合ってください!」
その言葉に一瞬ぼうっとしたものの
「はい、喜んで。」
依恋も満面の笑みで返しました。
すると役目を終えたかのように指輪の泡もはじけて消えてしまいました。
誰も居ない海辺で、さざなみだけが彼らの運命を祝福していました。
―――――――――――――
いかがでしたでしょうか。人間そう簡単には変われないと言いますが、誰かの為にならもしかしたら…なんて。
では、またいつか。
「濡れ手に泡」
・泡が立ちやすいように手を濡らすこと。
転じて、適した環境であれば目を見張るほどの成果をあげること。
・泡が割れないように手を濡らすこと。
転じて、他人を思いやり自らを変えること。
【簡易解説】
新月の晩までに抱きしめてもらわないと泡となって消えてしまう人魚の少女。最後の晩に少年は今にも泡となって消えてしまいそうな彼女を助けるために、手を濡らし少しでも泡を傷つけないようにして潔癖症で他人との間にある壁を壊して抱きしめようとしました。
※実在する諺は「濡れ手で粟」、あるいは「濡れ手に粟」です。
「泡」は本来誤記のためご注意ください。
-了-
[編集済]
潔癖症の男と人魚姫の切ない恋愛話。
潔癖症の相手に抱きしめてもらわないといけない、というのが確かに、ある意味壁ですね。「壁」にもいろいろあるなぁと学ばされます。この問題文で人魚姫のオマージュを思いつくOUTISさんの柔軟な思考にあっぱれ。そして見事壁を壊し思いが通じ合った輝くんと依恋さんにエモンガ!!
ご参加ありがとうございました!
<簡易解説>
24時間100kmマラソンに挑んだ芸能人の祐一は、もう少しでゴールというところで道に迷ってしまう。しばらく呆然と立ち尽くしていたが、ファンの観客がいる方へと歩を進めていくうちにゴール目前までたどり着いた。しかし、今度はゴールである劇場への入口を大勢の観客が壁のように塞いでいた。そこで、祐一は汗で濡れた手で観客の壁をかき分けながら、無事にゴールすることができた。いろいろハプニングがあれど100kmを完走できたのは妻の翠のおかげといっても過言ではない。
<本編>
24時間100kmマラソンに挑む芸能人の祐一。その完走への道のりは遠く険しいものであった。
祐一は中学高校大学と部活で長距離走をやっていただけに、ほかの芸能人とは明らかに序盤から中盤にかけてのペースが違った。番組が終わるのよりもだいぶ早く到着して、台本を無視した構成になるのが心配されたくらいである。しかし、悪い意味でそんな心配は無用であった。2日目の夕方、90km地点で急激にペースが落ち、完全に停止。祐一の足の痛みが限界だったのだろう。それもそのはずだ。今まで1回のマラソンで走った距離はせいぜい42.195kmである。それがいきなり100kmともなれば、体への負担は計り知れない。最初は足の痛みだけだったが、全身が痛くなってくるような気がした。今の自分の肉体を取り払って誰かの肉体に【⑤まっさらに生まれ変わりたい。】そう思うほどの苦痛であった。必死にトレーナーがストレッチを施し、医師が鎮痛剤を注射する。1時間ほどたって、ようやく歩けるまでに回復した。ただ、祐一には痛み以外にも闘わなければいけないものがある。それは食欲だ。この時間はちょうど夕食時である。走っている途中に【⑨夕食の香りが漂ってくることだってある。】どんなにお腹が空いていても、食欲には打ち勝たなければならない。ここで固形物を口にしてしまうと、吐き気を催したり胃腸への負担が大きくなったりするのでNG。ゼリーのようなもので我慢するしかない。家に帰れば奥さんの手料理が食べられると信じて前に進むことにした。
そういった大きな山場を越え、祐一もさぞかし気持ちがだいぶ楽になったであろう。しかしなぜか試練は終わらない。祐一の身にさらなる大ハプニングが起こる。そろそろゴール会場が見えてくるであろうというこの付近は、やや迷路のような道路構造になっているので、誘導員の方に道案内してもらうはずだったのだが、【⑧その誘導員の方がいないのである。】リハーサル時に一度車で通ったはずなのだが、ルートを思い出せない。困った祐一はとにかく勘で道を選び進むことにした。ただ、こういった時の勘はだいたい外れるのがお決まりのようなものだ。1kmほど走っていったときに間違いに気がついた。本来のルートであれば見えないはずの高い電波塔が見えてきたからである。早い段階で気づけたのは不幸中の幸いであろう。急いで元の地点に戻った。気づけば外はすっかり暗くなってしまった。暗くなったということは、番組の放送時間の終了がもうすぐだということを意味している。【①早くしないと、ゴールの瞬間を番組の放送時間内に収められない。】元の地点に戻ってからは道がわからず立ちすくむしかなかった。しかし、しばらくすると声が聞こえてきた。迷子という事態に気づいた番組スタッフが駆けつけてくれたのだ。そのスタッフの案内する通りに進んでいくにつれ、ゴールはすぐそこだという実感が徐々に高まってきた。ゴール会場から見えるかすかな光が届いていたのもあったが、一番の理由は大勢の人々が祐一を応援したさに駆け付け、ゴールまでの道筋を作っていたからである。その応援が祐一の力になっていたのは間違いないだろう。しかし、またまたハプニングに見舞われてしまうのが祐一らしいのである。その大勢の人々が一気に溢れてきて、ゴールである劇場への入口を壁のように塞いでしまった。中にはこんな状況で祐一にサインを求める非常識な観客もいた。【⑥この状況でサインなんか描けるはずがない。】ゴール目前の大切な場面で、こんな邪魔をされようものなら普通の人なら激怒するであろう。ここでそうならないのも祐一らしいといえば祐一らしい。「押さないでください。気を付けて。」と温かい口調で言って、汗で濡れた手でファンの壁を少しずつ崩すようにして、着実にゴールへと歩を進めていった。
そして、スタートから23時間と45分後、ついにゴールテープを切ることができたのだ。ゴールの瞬間を迎えた祐一のもとにインタビュアーが駆け寄ってくる。
「祐一さん、100km完走しましたね。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「息が上がっているでしょうから、落ち着いてからで構いません。いろいろお話を聞かせてください。」
「はい。」
祐一は息を整えるべく、ゴールテープ付近をうろうろと歩き回った。しばらくして、インタビューの準備ができたのか、インタビュアーに「お待たせしました。」と一声。
「お待ちしておりました。では、まずは今の率直なお気持ちをお聞かせください。」
「そうですね、一番は完走してほっとしています。それと完走を後押ししてくれた多くの方々への感謝の気持ちでいっぱいです。」
「なるほど、この企画も多くの人々の協力があって成り立っていますからね。では、ズバリお聞きします。誰に感謝の気持ちを一番に伝えますか?」
「一番は、やはり奥さんに伝えたいです。私はつい最近結婚したばかりでして、このマラソンを走るときも【⑦左手の薬指には指輪をつけていました。】おそらく皆さん気づいていたでしょうね(笑)。自分がランナーをすることに決まってから、トレーニングをするにあたって、一番身近で支えてくれたのが奥さんですし、今日も帰ったら奥さんが手料理を作って待ってくれています。さんまの塩焼きをリクエストしていたんで、今日は帰ってから、【⑩さんまを食べます。】という冗談は置いといて、ほんと奥さんには感謝してもしきれないくらいです。」
「我々、祐一さんのことならきっと奥さんと答えてくださると思っていました。」
「え?」
「実は今、奥さんとテレビ電話がつながっています。」
「ええ!?」
「祐一さんの奥さーん!」
「こんばんは、祐一の妻の翠です。今回はこのような機会を用意していただきありがとうございます。そして、何よりも祐一さん、完走おめでとう!!!」
この言葉を聞いた祐一の頬を涙が伝い始めた。
「あ、ありがとう!!!」
「祐一さん、大丈夫ですか?ちゃんと喋れますか?」
「大丈夫です、喋れます。【④実は私も奥さんへの感謝の気持ちということで手紙を書いてきました。この場で読み上げようと思います。】」
「おお、手紙ですか。ぜひお願いいたします。」
「翠さんへ、今日私は24時間100kmマラソンに挑戦しました。翠さん含め皆さんの支えがあってなんとか完走することができました。今大勢の人におめでとうと言われています。こんな貴重な経験を若い時にはできなかったので、【②これこそが青春なのでしょうか。】青春時代が10年以上も遅れてやってきた気分です。ほんとに幸せです。でも、一番の幸せは翠さんとこれから末永く一緒に過ごせることです。仕事で自分の帰りが遅くなっても、笑顔で迎えてくれる人、本番前のトレーニングで疲れた自分に温かい言葉をかけてくれる人、帰ったらいつもおいしい手料理を用意してくれる人。そんな人は世界中であなたしかいません。私を選んでくれて本当にありがとう。あなたと過ごす1日1日が【③1番の幸せといっても過言ではありません。】ですから翠さん、これからもよろしくお願いします。」
会場全体が感動に包まれ、24時間マラソン番組は幕を閉じた。
(完)
[編集済]
なんだか見覚えがある桜吹雪のサライの空の下を走る感動のフィナーレ。
個人的にはトップレベルの匠作品だと思います。【⑧道案内しません】=誘導員がいない。【①早くしないと大変です】=番組に間に合わないのは困る。そして壁=人垣!!この発想すばらしい!水平思考極まってると思います!
ご参加ありがとうございました!
【簡易解説】
ストーカー気質の男は、電灯も点けていない自室において、
手に汗を握りながら、同僚の女性の非公開アカウントに侵入するためにファイアウォールを破壊した。
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午後7時。辺りはすっかり暗くなり、街の家々からは[⑨夕食の香りも漂ってきている。]
三宅は、心臓を高鳴らせながら、[問:電気も点けず]に自室でパソコンと向き合っている。
[問:汗でぐっしょりと濡れた両手]でキーボードをせわしなく叩き続ける。
<INTRUSION SUCCESSED>
「侵入成功」を意味する文字列がディスプレイに表示され、[問:思わず立ち上がる。]
あとは1クリックで、[問:ファイアウォールを破壊し、突破することができる。]
三宅は震える手で右手の人差し指に力を込める。
三宅が今しがたハッキングしたのは、同僚である岩下のSNSアカウントである。
三宅は岩下に密かに想いを寄せていたが、内気な彼には話しかける勇気がなかった。
また、岩下と結ばれることが叶わないということも、三宅は承知していた。
自分のような魅力の乏しい人間が岩下さんと交際している姿なんて[⑥思い描けなかった。]
それに最近、岩下は[⑦左手の薬指]に指輪をはめて出社するようになったのだ。希望が欠片も無いことは目に見えていた。
一方で、岩下のことを深く知りたいという感情が歪んだ方向に高じ、彼女の非公開アカウントに侵入するに至ったのであった。
岩下のアカウントには、婚約者とのツーショット写真がたくさんアップロードされている。
まさに2人の[②青春]という様相を呈している。
三宅の瞼がばちばちと震える。
間違っている、間違っている、間違っている。
こんなの岩下さんにとって良いはずがない。
岩下さんにとって[③一番の幸せ]は、僕と――。
僕がラブレターを[①もっと早く][④岩下さんに送っていれば。]
僕と岩下さんの[⑧恋路を案内してくれる人がいてくれれば。]
僕が[⑤まっさらに生まれ変わって]好青年になっていれば。
僕が生まれ変われば、僕が生まれ変われば・・・。
三宅の今日の[⑩夕食は秋刀魚]である。
そのために彼は、七輪と練炭を買ってきている。
【おわり】
[編集済]
ストーカーの努力の方向性は得てして間違ってる話。
ファイアウォール…セキュリティの壁ってことですか。いろいろな壁の解釈を見てほうほうなるほどと思ってきましたが、ファイアウォールが1番目から鱗でした。30枚くらい落ちた。ボロボロボロボロ・・・。
ハッキング?クラッキング?する前から報われないの分かってて、いざ非公開アカウント見たらさらに傷口抉って自滅してる三宅が一周回っていじらしく見えるような見えないような() さんま食べるんだよな?それだけだよな???
ご参加ありがとうございました!
そのアトリエは、まさに描くための場所であった。
手入れのされていない庭に囲まれた小さな家は、近辺の生活音を拾わない。大きな窓を開け放ってもいいし、カーテンを閉めて己の世界に閉じこもってもいい。周囲の明るさに応じて自動点灯する照明は、寝食をも忘れさせる。
母に鍵を渡されたのは、二十八のときだった。あなたのお父さんが使っていたアトリエがある。そう言って。
昔、一度父に連れられて訪れたことがある。部屋中に雑然と立てられたイーゼルに、完成と言って差し支えないものから描きかけ、そして真っ白なキャンバス。
けれど、それきりだ。父は画家としての将来はおろか、絵を描く術の一つも教えてはくれなかった(⑧)。
それは父が子供には同じ道を歩んでほしくなかったのかもしれないし、そもそも子供に興味がなかったのかもしれないし、ただ単に家に帰らなかったのかもしれない。
俺が小学校に上がるころには、母の薬指は飾り気のないものとなっていた(⑦)。
だから俺は父のようにはならぬと、幼心に決意した。母は俺が絵を描くことは望まないのだと。実際家で父の作品を見ることはなかったし、名も知らぬ父の作品を探すこともしなかった。
だが結果として俺は、母の期待に背いた。勉強はできぬしやる気にもならない。運動などもってのほか。繰り返し書かされる「将来の夢」に挙げられるものは、公務員くらいしか無かった。
俺には何もない。そう思ったときに頭に浮かんだのが、あのアトリエだった。
当時は何とも分からなかった、染み付いた油絵具の匂い。その空間で、一心にキャンバスを染め上げる。そんな姿を夢想した。してしまった。
そうして絵の道を歩み始めたところで、結局その才能もなかった。まともな収入にも繋がらず、それでも描くことが楽しいのだ、がむしゃらに夢を追えることが一番の幸せなのだ(③)、なんて青春はあっという間に過ぎた(②)。
いつまでもそうしてはいられない。賃貸マンションの一室で、生活費の一銭も納めぬまま。朝食も夕食も、用意するのは仕事をしている母だ。
その日も油絵具の中に夕食の匂いが混じって、手を止めた(⑨)。頃合いを見計らって部屋を出れば、いつものようにテーブルの上に二人分の夕食が並んでいる。
我ながら覚束ない箸さばきでサンマをほじっているとき(⑩)、ふと思いついたように母が言った。
「まだ、絵、描きたい?」
最後通牒だと思った。二十八にもなって将来への希望の一つもなく、金も納めず家事もしない。もう限界だということくらい、本当はとっくに分かっていた。いい加減、道を決めねばならないと(①)。
俺が答えられないでいると、母は黙って席を立ち、鍵を差し出してきた。
「あなたのお父さんが使っていたアトリエがあるの。まだ絵を描きたいのなら、好きに使って」
そうして、俺はアトリエに篭もるようになった。かつて夢想したように、ただ油絵具の匂いの中で。
それでも――当たり前の話だ。環境が変わったところで才能が開花するわけでもない。むしろ悪化した。
売れずとも描きつづけてきた絵が、一筆も進まない日がつづいた。絵の具を絞っても、筆を濡らしても、キャンバスには乗らない(⑥)。たまに一つ二つと筆を進めてもすぐに止まる。
何が描きたいのか。なぜ描きたいのか。
母からは何度か手紙が届いた。電話やメールはすべて無視していたからだろう。とはいえ、その手紙にも返事は出せなかった。強がりも、弱音も。何度か書いてみては、すぐに捨てた(④)。こんなもの、出せるはずもない。
何にもならない日々の中で、けれど珍しく筆の乗る日があった。キャンバスが染まっていく。朝か昼か夜か、どれだけ描いていたかは分からない。窓もカーテンも締め切って、常夜灯の照らす部屋の中で、ただただ描いていた。
ああ、これだ。きっと俺は、これを――。
描きたかったのだ。それが、集中の切れた瞬間だったのだろう。下ろした肘が水入れに当たって、派手に転がる。とっさに引いた足が椅子を動かし、イーゼルに当たり。バタリと。
色が混ざって濁った水が床に広がる。散らばった絵の具を、筆を、紙を、足を濡らしていく。目に映るのは木枠。裏返しで床に転がった、キャンバス。
それを見て、ふつりと、何かが切れた。
何もない。何も、何も、なにも。何も描けない。何も創れない。何も産み出せない。何も持っていない。何も意味なんてない。なかった、なにも、なにもなにも。
目につくものすべてが、敵だった。こんな物があるからいけない。こんなものが。イーゼルを引き倒し、筆もパレットも絵の具も投げ捨てる。デッサン用の静物も椅子も何も、すべて。
不意に周囲が暗くなった。何かが電球を割ったらしい。けれど俺が立ち尽くす羽目になったのは、暗いからではない。部屋の入口からは見えづらいその壁に浮かぶ、顔。蓄光塗料でも描かれているのだろうその絵から、目が離せない。
そっと壁に触れる。誰が描いたのか。父しかいない。誰を描いたのか。知らない。――いや、知っている。覚えている。この場所で、見た。
こいつのせいだ。ここに来なければ、知らなければ。こんなことにならずに済んだのに。無意味と知りながら壁を殴る。返ってくるのは拳の痛みだけだと、思っていたが。
違和感。おかしい。壁、じゃない? 空間がある? そんな、映画みたいな。わざわざこんな絵を描いて。電気が自動点灯なのは、これを隠すため? 見つけてほしいのか、ほしくないのか。
水や絵の具に濡れた手で、すでに絵は損なわれている。好きにしたっていいだろう。壊す道具は椅子で十分だ。
角を叩きつければ、あっさりと穴が空いた。穴を広げれば、二畳ほどの空間。段ボールが積まれているようだが、それ以上は暗くて見えない。思い出してカーテンを開ける。どうやら今は昼間らしい。
段ボールの中身は、絵だった。落書き、デッサン、下書き、途中で終わっているのは失敗作だろうか。鉛筆、木炭、筆。油絵、水彩、色鉛筆。
ああ、そうか。俺が描きたかったのは、これだ。
あの日、ここで見ただけの。ここで見たきりの、父の絵。俺はそれが描きたかったのだ。
なればここに仕舞われた絵を見るべきだ。見て、真似て、学んで。
「……ふ、はは」
そんな風には、まったく思わなかった。気がついてしまえば、もうどうでも良かった。
父が作品を隠したのは、見られたくなかったからだろうか。それともこんな回りくどいことをして、見つけてほしかったのか。父の顔を壊せるものだけに、己を超えられるものだけに習作を見せよう、などと。
そんなこと、俺には関係ない。
俺のキャンバスには、あの日からずっと父の絵が描かれていたのだ。そこに色を重ねても、まともな作品になるはずもない。絵を書くために必要なのは、そんなキャンバスではないのだから。
気がついてしまえば、それだけで十分だった。
まっさらなキャンバスに、一から色をつけよう。きっと今なら、できるはずだ(⑤)。
(終)
【簡易解説】
父親の残したアトリエで絵を描く男は、スランプによる苛立ちから辺りの物を壊してしまう。
電球が割れ暗くなった部屋で、蓄光塗料で壁に描かれていた父親の自画像を目にし、立ち尽くす。
壁の奥に空間があることに気がつくと、絵の具や水に濡れた手で壁を壊すことにした。
そこに仕舞われていた父親の作品を見て、男は自分がずっと父親の作品に囚われていたことに気がつく。
自分に欠けていたものがまっさらなキャンバスであることを知った男は、ようやく自分の絵が描けるようになった。
[編集済]
無名無能の画家が己の殻を破る話。
1番感情移入した作品です。何がやりたいのか分からない、何ができるのかも分からない、まさに人生の迷子な感じが痛いほど伝わってきました。感情移入しすぎてちょっとしんどかったね。【⑤まっさらに生まれ変わります】が全てですね。ルノワールのように苦労しながらも徐々に評価をあげていく画家になるのか、ゴッホのように死後ようやく評価される画家になるのか、それとも…?
ご参加ありがとうございました!
【詳細解説】
ふわりと、長い黒髪が翻った。
踊るように、舞うように。黒髪にやや青みがかった瞳を持つ「彼女」は歩いていく。
でも、俺は強く感じていた。「そこ」に行ってはいけないのだと。
止めようと一歩踏み出した足に、黒い何かが絡み付いた。振り解こうとしても、それは足から離れない。気がつけば、目以外の全ての部分が黒い物で覆われていた。あっという間に身動きが取れなくなり、焦りの気持ちだけが膨らんでいく。
そうだ。名前を呼べば。
……なんだっただろう。「彼女」の名前は。決して忘れられない、忘れてはいけない大切な人のはずなのに、「彼女」が誰だか分からない。
そして。最後の一歩を踏み出した「彼女」の姿は、粒子が解けるように掻き消えた。すでにそこには、何もなかった。
そうだ。「彼女」は。
「……姉さんっ!!」
頭に鈍い痛みが走った。咄嗟に手を伸ばし、手に触れたのは、触り慣れた、ややざらついた家の壁だった。
自分の声が妙に頭の中で反響している。悪夢の残滓を振り払うように、強く頭を振った。
一香姉さん。久しぶりに脳裏によぎった単語に、胸に鋭い痛みが走る。今まで忘れていたのに。いや、忘れようと心の隅に押し込んでいたのに。
夢によって強制的に引き摺り出された大切な人の記憶は、引きつれるような痛みとともに、一種の懐かしさも秘めていた。
姉さんと呼んでいたが、俺と一香姉さんは血が繋がっていない、らしい。俺は、一香姉さんについてほとんど知らない。
血の繋がりがないはずの姉さんがなぜ家にいたのかは知らないが、当時思春期真っ盛りだった俺に語れるような内容ではなかったのだろう、と勝手に思っている。
だが、どれほどの年月が経っても、俺が真実を知ることはなかった。
それは、姉さんが失踪したから。
なんの痕跡も残さず、前触れもなく。普段のように俺に手を振って家を出た背中は、普通すぎるほどにいつも通りで、まさかこれが最後になるとは露ほども思っていなかった。姉さんはいつも通りに帰ってきて、いつも通りに俺に嫌いなさんまを押し付けるのだと、なんの根拠もなくそう信じていた。(⑩)
ベッドサイドに手を伸ばすと、ざらざらとした紙の感触が指先をくすぐった。そのままそっと掴み上げ、胸に押し当てる。
たった一つ、俺に残された一香姉さんの手がかり。宛名も何もない、少し痛んだ真っ白な封筒は、姉さんから俺に直接手渡された。(④)
だが俺は、この封筒を開いたことがない。
——大切に取っておいて。もし私にそっくりな人に出会ったら、これを渡して。そして、和志は開けないで。絶対に。お願い。
思い詰めたような顔で俺を見つめ、この封筒を手渡した姉さんの指先は、細かく震えていた。
失踪、3日前のことだった。
何度開けてしまおうと思ったか。これを開ければ、姉さんの謎めいた言葉の意味が分かるかもしれないと思った。それでも、開けられなかった。
真剣な表情の裏で、姉さんは泣き出しそうな表情を浮かべていたから。あんな姉さんは、後にも先にも初めてだったから。
開けることなど、できるはずがない。
ふわりと、長い黒髪が翻った。
束の間、一香姉さんが俺の隣にいるような幻想に捉われ、息が詰まった。
「和志さん?」
そう訝しげに俺の顔を覗き込む、あの日から俺の家に住んでいる女性。
一香姉さんにそっくりな人。
長い黒髪も、やや青みがかった瞳も、左手の薬指にデザインは違うものの幅の広い指輪が嵌っていることまで同じだった。初めて出会ったときは、一香姉さんが生きていたのだと咄嗟に思ってしまったほどに、彼女は一香姉さんに生き写しだったのだ。
直感で思った。姉さんが言っていた、「私にそっくりな人」とは、この女性のことなのだと。
行く当てがないのだと、どこか警戒するような空気を漂わせながら俺に告げた女性は、俺が家に来ないかと誘うと、花が開いたように笑った。
そして、嬉しそうに、そっと言葉を味わう様に、「七緒」と名乗った。
その時の七緒さんは、こんなに無防備でいいのかと、自分で誘っておきながら心配になるほどに愛らしかった。
そこからの日々は、年頃の男女二人が一つ屋根の下に暮らす、という異常な状況であることを除けば、ゆったりと普通に過ぎ去っていった。
最初は姉さんにそっくりだと思った彼女だけれど、少し共に過ごしただけで、別人なのだと分かった。
天然なのか何なのか、世間一般には奇行と呼ばれる行動を連発するのだ。
ある日、食卓に並んださんまを目にした七緒さんは、しげしげとそれを眺めていた。そして徐に、箸でさんまを掴むと、頭から丸かじりしようとしたのである。(⑩)
可憐な女性が頭からさんまをかじろうとしている姿はあまりにもシュールで、俺は慌てて止めに入る。
「な、七緒さん?」
「はい?」
怪訝な顔で俺の方を見る仕草は愛らしいが、その口元にはさんまの頭が添えられている。
「さんまって、食べたことあります?」
「これ、さんまって言うんですね!」
「……」
俺は無言で七緒さんの方に回る。あまりにも危なっかしすぎる。
「ほら、こうやって……」
骨を慎重に外していく。決して手際が良いとは言えないが、丸かじりよりはましだろう。
「さあ、どうぞ」
お皿の上には、骨を外された身の山が出来上がっていた。
だが、七緒さんはなかなか食べようとしない。どうしたのかと七緒さんの方を見れば、顔を真っ赤にして停止していた。
「七緒さん?」
改めて、七緒さんの目線の先を見やる。七緒さんが見つめているのは、俺の手元……いや箸……。
「……あっ?!」
さんまに気を取られて全く気付いていなかったが、すでにこの箸は俺が使ったものだった。
「すみません、もし良ければ」
そう言って俺のさんまを差し出す。
「あ、あの……大丈夫、です。気にしないでください」
そうは言いつつも、七緒さんの顔は真っ赤だった。気まずさを振り払うように、七緒さんがさんまを口に運ぶ。その時にぎゅっと目を瞑った表情が……いややめておこう。
「?!」
口にさんまが入った瞬間、目を大きく見開く七緒さん。
「どうですか? 一応旬だから、美味しいと思いますが」
一瞬の空白があった。そういえば、一香姉さんはさんまが嫌いだったと、今さらながら思い出す。
「……美味しい」
そう言いながら幸せそうに微笑む七緒さん。その手は異様に早く動き、山がどんどん小さくなっていく。
小動物のように夢中でさんまを頬張る七緒さんは、どうしようもなく可愛らしかった。
最初は姉さんの謎めいた言葉の真相を知るため、という打算だけで家に彼女を誘ったはずなのに、いつのまにか七緒さんと過ごす日々をどうしようもなく幸せだと感じている自分がいた。
その日からだ。自分の気持ちに気がついたのは。
そんな日々の中、何度も七緒さんに封筒を渡そうと思った。だが、どうしても渡せなかった。
なぜなら、姉さんが失踪した数日後、家に来て封筒の行方を聞いた男たちがいたから。
丁寧な口調でありながら、研ぎ澄まされた刃の様な鋭さを持つ瞳は、明らかに普通の人とは違っていた。この人たちは姉さんの失踪に関わっている、と幼いながらに思ったものだ。
だから、封筒を七緒さんに渡すのが怖かった。彼女も失踪してしまうのではないかと、被害妄想じみた感情を抱いてしまうほどには、俺は姉さんの失踪に衝撃を受けていたようだ。
だが、これも建前かもしれない。姉さんが俺に残したたった一つの物を人に渡してしまうのが惜しいという、子供じみた感情もあるのだと、冷静になった時には思う。
情けない話だが、胸に押し当てられた紙の感触からは、当分離れられそうにないのだ。
「和志さん? どうしました?」
「いや、大した話ではないんですけど、七緒さんって、すごく俺の姉に似ているんですよ」
何の気なしに口にした言葉だった。夢の影響もあったのかもしれない。
「指輪も同じ位置につけてたんです。それは偶然だと思いますが」
「……」
不自然に空いた空白に、訝しく思い、顔を上げる。
そして目に飛び込んできた七緒さんは、そこだけ時が止まったかの様に動きを止めていた。
大きく見開かれた目と、歪んだ口元。明らかに様子がおかしい。
「七緒さん? ……どうしたんです?」
「お姉さんのお名前は、なんと言うのですか……?」
恐る恐ると言うように、七緒さんが口を開く。
「一香、ですが……」
七緒さんは再び目を見開き、微動だにしなくなってしまった。
「七緒さ……」
不自然に言葉が途切れる。前触れもなく訪れた静寂の中、ぴちゃ、と水滴が床に弾ける音だけがやけに大きく響いた。
七緒さんは、自分の体を抱きしめる様にして、静かに震えていた。
「ごめ……さい」
絞り出される様に発された言葉は、今にも溶けて消えてしまいそうな程に弱々しかった。
「ごめ「……あの」」
俺の謝罪の言葉は、俺よりもずっとか弱い、だが意を決したような声にあっさりと飲み込まれる。
「和志さんが私を助けてくれたのは、そのお姉さんに似ているからですか……?」
震える手を握りしめ、濡れた目で俺を見つめる七緒さん。誠実な答えを返す以外は、許されないと思った。
「……最初は、そうです」
ゆっくりと、言葉を選ぶ。
「今は、違います」
小さく、七緒さんが息を呑んだ。手に、七緒さんのひんやりとした指先が触れて、そこだけ別の生き物になったかのように、手がぴくりと痙攣する。
「今は……なぜですか?」
言うのは簡単だけれど。この感情がどういう物なのかは、自分でも分かっているけれど。
今の居心地の良い空気を一瞬で破壊しうる程に、威力を秘めた言葉だから、一瞬の躊躇いが生じた。
でも、何も言わなくても、もう「いつも通り」に戻れないことは分かっている。
だから、俺は情けなく震える自分の手を見つめ、口を開く。
「七緒さんと過ごす毎日が幸せでした。どうしようもなく。最初は何故だか分からなかったけれど、もう分かりました」
意を決して、顔を上げる。
「つまり、俺は七緒さんのことが「和志さんは」」
予想だにしなかったところで言葉が遮られ、俺は不覚にも言葉を途切れさせてしまう。
「和志さんは、お姉さんのことが好きだったんですか?」
唐突に放たれた言葉はあまりにも文脈という物を無視していて、先ほどまでの動揺も忘れてひたすらに困惑する。
「……家族として、という意味なら、そうだね」
空白の後、どうにか絞り出した言葉を聞いた七緒さんは、大きく顔を歪め、踵を返した。
バタン、と勢い良く閉じられたドアの音が、質量を持ったかのように俺を殴った。
——————————
「007番を発見いたしました」
整然と片付いた部屋の中、所狭しと並べられた機械が無機質な音を響かせる。
隣に立つ上司が口にした一言に、思わず声を上げそうになった。
まさか、そんな。
「容姿はもちろんの事、番号が刻まれている薬指が指輪で隠されていました。(⑦) そのため、番号は確認できませんでしたが、逃亡したと目下されているWc-9シリーズの個体のうち、001〜006、008、009番はすでに確保、リセット済みですので、007番で間違いないかと思われます」
そこまで聞いて、わずかに壇上の人影が身動きした。
「リセット」
一切の無駄を省いた言葉だった。部屋の空気の様に無機質な、聞くものの背筋を震わせるような声だった。
それだけだった。その一言で全てが分かった。
007番……七緒も、彼女たちと同じ運命を辿ることになる。記憶も、自我も、全てをオリジナルから抽出したデータで上書きされて、オリジナルと全く同じ個体——クローンへ、戻る。
本来なら、001〜009までの「彼女」は、全て同じように育てられるはずだった。シャーレの上で生み出された「彼女」は、皆歪んだ教育を受け、歪な形に育っていく運命だった。そのことに何ら違和感を持たないままに。
研究所の求める人間に近かった「オリジナル」の形を少し変形させ、磨き、歪ませて、大量生産された「道具」。それが「彼女」だ。
そうやって、機械をプログラムするかの様に造られるはずだった「彼女」の中、一つだけ「バグ」が発生した個体があった。
001番。そう呼ばれる個体だった。
その「バグ」を作り出したのは、僕だ。
僕は初めて会った日から、「彼女」に惹かれた。
美しい容姿、冷静で落ち着いた挙動。人工的に完全な状態で造られていながら、刹那的な危うさを、儚さを秘めた「彼女」に僕は狂おしいほどに惹かれた。
どの「彼女」に惹かれたのかは分からなかった。いや、分かる必要もなかった。違いなどなかったのだから。
「彼女」は「彼女たち」ではなく、複数でありながら単数だった。
堪えられなくなった想いを、偶然2人きりで会うことのできた「彼女」に告げた日から、「彼女」は、彼女と「他の彼女」になった。
001番、と呼ばれていた彼女は、僕と話したがった。言葉を交わせばかわすほど、僕たちは強く惹かれていった。
僕は彼女を、001番と呼びたくなどなかった。冷たい整理番号で管理された個体ではなく、僕たちと同じ人間なのだと、何かに訴えたかった。だから、僕は彼女を「一香」と呼んだ。
一香は同年代の僕よりも、ずっと大人びていた。それはWc-9シリーズ——「彼女」の特徴だったが、一香は少しずつ僕に他の一面を見せるようになった。
顔をしかめて僕にさんまを押し付ける。
スカートよりズボンを好み、年頃の女性らしい可愛らしさを嫌がる。
そこにいたのは、間違い無く「彼女」ではなかった。
数ヶ月が経つ頃には、一香は「他の彼女」とは完全に別人になっていた。
一香は、黙々と仕事をこなす「他の彼女」の中で明らかに自分だけ浮かないように注意を払う思慮深さを持ち合わせていたが、僕には一香だけが浮き上がって見えた。所作。表情。薬指に刻まれた識別番号など確認せずとも、僕には一香が分かった。
そして、一香と言葉を交わした「他の彼女」にも、その波紋は広がっていった。
今まで、細心の注意を払って全く同じ教育を施されていたはずの「他の彼女」だが、気分や感情によって、毎回少しずつ違う一香の言葉を聞いた結果、少しずつ違う形に育つことになった。
ちりも積もれば山となる。僅かな誤差が決定的な違いになるまで、さほど時間はかからなかった。
「他の彼女」は「彼女たち」になった。
——関口さん。みんなで、逃げたいの。
一香はある日、僕をまっすぐに見つめてそう告げた。
——二穂。三枝子。四葉。五紀。六花。七緒。八重。九音。みんなと、話し合って決めたことなの。
決死の覚悟を込めた言葉は、恐ろしいほどの危険性を秘めていた。あまりにも危うい賭けだった。
でも、誇らしい、と感じる心を抑えられなかった。造られた彼女たちが、自らの意思で飛び立とうとしていることが、誇らしくて堪らなかった。自らの現状を憂い、自由を掴もうとする彼女たちを止めることなど、できなかった。
——お願い。力を貸してください。
だから。僕は一香にカードキーを渡した。これがあれば、研究所のほとんどのセキュリティは突破できる。
クローン技術はまだ安定していないから、彼女たちには計り知れない価値がある。万が一失敗しても、あまりにも酷い扱いを受けることはないと踏んだこともある。
そして、彼女たちは研究所を去った。
脱出自体は成功した。捕まることもなく、全員が無事に研究所を抜け出した。
だが。本当の地獄はここからだった。
全勢力を傾けて、研究所は彼女たちを探した。
1人。また1人。引きずられるようにして研究所に連れてこられ、リセット用の機械に入れられて「彼女」へと戻される彼女たちを見るのは、想像を絶するほどの苦しみだった。
「リセット」と謳われた操作。機械に残った「オリジナル」のデータを植え付けられた彼女たちには、僕についての記憶も存在しないようだった。
——四葉? すみません、人違いではありませんか。
四葉は、可愛らしい末っ子のような子だったのに。
——六花? すみません、人違いではありませんか。
六花は、勝気で四葉を誰よりも可愛がっていたのに。
全く同じ表情を浮かべ、全く同じ抑揚で全く同じ言葉を話す彼女たちを、すれ違ってもお互いに言葉も交わさない彼女たちを、見ていられなかった。
皆、捕まった。……そして一香も。
——一香? すみません、人違いではありませんか。
無機質な言葉は、儚い希望をあえなく破壊した。
リセットは、定期的に行われるようになった。何度声をかけても、一瞬「彼女」以外の誰かの兆しが見えたとしても、数日後には全てが元に戻っていた。
「僕の名前を覚えていますか?」
そう問いかけたところで、答えが返ってくることはほとんどなかった。
残るは七緒だけだった。七緒は誰よりも優しい子だった。恋に恋するような子だった。
どうにか生き延びて欲しい。そう願っていた矢先の、出来事だった。
「青春だな(②)」
突然耳許で響いた上司の声に、はっと我に帰る。
「関口、Wc-9シリーズが好きだったんだろ?」
「彼女たちをその名前で呼ばないでください」
僕が彼女たちの脱走に関与していたことは、結局露見しなかった。だが僕が一香に惹かれていたことは、何故か周知の事実となっていた。そのため1番に疑われたが、証拠不十分ということで見逃されたようだ。
だから、僕は遠巻きにされていた。そんな中、こうして普通に話しかけてくるこの上司は、珍しい部類に入る。
「まあそんな熱くなるな。さっきも人でも殺しそうな目してたぞ」
「そう……ですか?」
正直、無意識だった。
「気づいていなかったのか。好きな人のことになると何も見えなくなるあたり、若いなあ」
「……そうですね」
認めるしかないのだろう。僕は未だに、一香のことが忘れられないのだ。彼女という存在が、もう残っていないのだとしても。
一香、と口の中で呟いた言葉に、答える人はもういない。
——————————
結局、その日七緒さんに会うことはなかった。一つ屋根の下に住んでいるのだから、いつかは顔を合わせることになるのだが、安心したことは事実だ。
彼女の考えていることが分からないまま、言葉を交わすことが怖かった。
だが。その安心は、すぐに焦りに変わった。
翌日になっても、七緒さんの姿がない。家中をひっくりまわす勢いで探しても、失礼を承知で七緒さんの部屋に入ってみても、七緒さんはいなかった。
でも、七緒さんは取り乱していたから。家を飛び出しても不思議はない。そう自分に言い聞かせるようにして、一日を過ごした。
だが。深夜3時を回っても、七緒さんは帰ってこなかった。
不安という言葉が生温く思えるほどの恐怖が胸を締め付ける。一香姉さんが消えた日も、こうだった。
一香姉さんが言っていた「私とそっくりな人」。そして七緒さんの容姿。薬指に嵌められた幅の広い指輪。
偶然と言うには、出来すぎているような気がした。
ベッドサイドに置いたままだった封筒を手に取る。
開けてはいけないものなのかもしれない。でも、これを七緒さんに渡さなかった責任が、俺にはある。
柄にもなく震える手で、俺は封筒の封を切った。
滑り出てきたのは、一枚のカードのようだった。無機質な銀色の光を放つカードに、張り付いているメモがあった。
一香姉さんの、やや癖のある字で書かれた文字は、どこかの住所のようだった。スマートフォンを取り出し、書かれた住所を入力する。
赤いマークが指し示すのは、山の中のようだった。ここから、すぐ近くの。
何があるかはわからない。でも、姉さんがこれを残したこと、俺のもとに七緒さんがきたこと、この場所がここから近いことは、何か一つの方向を指し示している気がした。
バタン、と勢い良く閉じられたドアの音が、俺の背を押した。
——————————
深夜番は、苦しいほどに胸が締め付けられる。
僕以外の職員が殆ど残っていない深夜は、かつて一香と語り合った時間だった。
骨の髄まで凍りつくような深夜、傍にあった一香の温もりを、唇に触れた柔らかさを、滑らかな肌を、今でも鮮明に思い出せる。
今日、七緒が捕まった。そのことも、このやり場のない想いに拍車をかけていた。
これで、一香の夢は潰える。逃げた彼女たちは、再び「彼女」になる。
最後に、七緒のリセットケースの中にハンマーを忍び込ませておいたけれど、気休めにしかならないことは一香の時に証明済みだ。
理屈は僕の知る由も無いが、リセットケースの中に湛えられた液体に浸かったら最後、ゆっくりと上書きされていくのだ。そうして彼女たちは、一香は、まっさらに生まれ変わった。(⑤)
その進行は液体から出ていても止まることはなく、止める手立てを僕は持たなかった。
砕け散ったリセットケースの隣で、わずかに残された猶予の中、一香は笑っていた。僕に出会えて幸せだったと、こうなると分かっていても私は「彼女」以外になれたことが嬉しかったと、これが1番の幸せなのだと、微笑んでいた。(③)
それは半分本心で、半分嘘だったのだろう。一香は、そういう子だ。
抱きしめた一香は、口付けた一香は、震えていた。怖くて堪らないはずなのに、気丈に笑おうとする一香を見ていられなかった。
一香を抱く腕に力を込めると、濡れそぼった一香は震える声で呟いた。
「……和馬さん。怖いよ」
救いたかった。助けたかった。
「一香……っ」
その声は、誰にも届くわけがない。
だが。その言葉に応えるように、目の前のディスプレイが立ち上がった。そこに刻まれた文字は。
東門を開錠しました。使用ID:0216
あのIDは、一香に渡したカードキーのものだ。
キーボードを引き寄せ、全力で叩く。すぐにでも全てのログを消さなくては。このIDがかつての大脱走に使われたものであることは、誰もが知っている。早くしないと、大変なことになる。(①)
東門以降の扉を全て開ける。言い訳など、誤動作にでもすれば良い。
一香でないことはわかっている。それでも、頬を温かいものが伝った。
このカードキーの持ち主は、この制御室の隣を通るはずだ。予想通り、数分後に足音が響いて来る。
深夜、息を切らせ、必死の形相で駆けてくる男の子は、まだ若かった。
彼は僕の姿を見た瞬間、見えない壁にぶつかったかのように動きを止めた。
だが、そんなことには構っていられない。逸る心のまま、彼に問いかける。
「一香を、知っているのか?」
驚いたように、目を見開く彼。
「一香姉さんは、ここにいるんですか?!」
「……一香は、もういない」
姉さん、か。
一香は外の世界で、大切な人を見つけられたのだ。
心を抉るような悲しみとともに、微かな、けれど確かな喜びがあった。
「時間がないんだ。君が探しに来たのは、一香か?」
「いえ、七緒さんです」
「七緒……」
彼は。一香と七緒の関係性に、気がついているのだろうか。
その疑問は、そのまま口から溢れ出た。
一瞬の空白の後、帰って来た答えは、一見問いとは関係がないように思えた。
「あなたは、一香姉さんの言葉の意味が分かりますか?」
だが、その後の一言を聞いて、僕は思い知る。
私とそっくりな人に出会ったら、これを渡して。
一香はきっと、自分が研究所に見つかったことに気がついていた。だから、仲間にカードキーを渡そうとしたのだろう。自分で使えば、生き残れる確率もあったかもしれないのに。
一香は、逃げ出してもなお、仲間のことを、家族のことを心から思っていた。
どこまでも、一香らしい言葉だった。
「……意味は分かる。でも、詳しい説明はできない、時間がないから」
質問を挟まれないよう、ひたすらにまくし立てる。
「七緒の存在がかかっているんだ、詳しいことは聞かずに、信じてほしい」
一瞬の逡巡の後、彼は頷いた。
「七緒がいる場所は……」
ディスプレイに映った地図を指差す。
「描き写している時間はない、暗記してくれ(⑥)」
食い入るようにディスプレイを見つめる彼を見つめながら、僕はさらに早口で告げる。
「僕は僕にしかできない仕事をする。警備員の注意は僕が引き付ける。君の案内はできないけど……頼んだ(⑧)」
「分かりました。……一つだけ教えてください。あなたと一香姉さんは、どんな関係だったんですか?」
溢れ出しそうな想いを抑え込み、誇らしく笑う。
「僕は一香を愛している」
「だから、恋人『だよ』」
頭を下げた後、走り去っていく彼を、静かに見つめる。
おそらく、既に手遅れだろう。そんなことは分かっている。
七緒のいる部屋に入るためには、何重もの生体認証やパスワードを突破する必要がある。そんな技術も時間も彼にはないことも、良く分かっている。
余計に彼を傷つけることになるかもしれない。でも、彼なら、七緒を最後に幸せにすることができる気がした。
僕は、一香のことを幸せにできたのだろうか。
彼が七緒に惹かれていることは火を見るより明らかだ。
一香が繋いだ糸は、物理的には切れてしまっても、決して切れることはない。彼はそれを証明してくれた。
リセットされても、「一香」という存在は、僕の中に、そしてきっと、彼の中にも生き続けている。
身を焦がすような切なさも、苦しさも、片時も忘れることはないけれど。
一香の生きた証は、まだ生きている。
だから。一香が幸せだったかを考えるのではなく、幸せに「する」んだ。
今は、彼が七緒を幸せにしてくれることを、一香の想いが七緒を救うことを、祈るのみだ。
彼を助けるために、僕にしかできないことがまだある。
狙いを定めて、蛍光灯にペンをぶつける。
ガラスが砕け散る音が響き、ばらばらと破片が落ちてくる。頬に、鋭い痛みが走った。これで、非常事態は演出できる。
見つかったらただでは済まないだろう。存在ごと消されるかもしれない。
「一香」
頬を伝う血を拭い、手を振り上げる。
「後は、任せて」
硬質な音が響くが、制御室のガラスの壁は何も変わらないように見えた。(問題文)
でも、狙いはこれではなく。
一拍置いて、建物中を揺るがす鋭い音が響き渡った。
——————————
耳をつんざくような非常ベルの音が響いている。
何人かと鉢合わせする覚悟はしていたのだが、誰とも出会わずに、俺は目的の部屋にたどり着く。おそらく、非常ベルのおかげだろう。
足を踏み入れた部屋は暗かったが、遠くに薄くぼんやりとした明かりが見える。でもそれは微かなもので、何も見えないほどの暗闇であることに変わりはない。一歩足を踏み出すごとに、ぴちゃ、とかすかな水の音が響く。
ポケットからスマートフォンを取り出し、電源を入れようとした矢先。
「……誰か、いるの?」
か細く震えた、この声は。
「七緒さん?!」
久しぶりに喉から飛び出た大声に、咳き込んでしまう。
その音は部屋の中で何重にも反響し、頭を揺さぶった。
「見ないで! 電気つけないでっ!」
そんな中、七緒さんの高い声が突き抜けるように響いた。
その声に、俺は立ち尽くすしかない。(問題文)
「だめ! 見ないで……!」
「助けに来たんです、逃げましょう!」
はっ、と息を飲む音がやけに大きく響いた。そして。
「……もう、手遅れなんです」
揺れる感情を隠そうともせず、七緒さんは告げた。
彼女の意思に反して、しだいに暗闇に慣れた視界に浮かび上がったのは。
広い部屋だった。だが、その部屋と俺がいる場所とは大きなガラスの壁で隔離されている。その中に、少しずつ感覚を開けて、巨大な……カプセルのようなものが並んでいた。縦向きに立てられたその中には、薄く緑色に発光する液体が湛えられている。
泳ぐように、揺蕩うように。液体の中に浸かっていたのは。
「七緒さん……? いや、一香姉さん……?! でも……」
でも。
「彼女」は、9人いた。
「分かったでしょう」
不意に静寂を破り、七緒さんの声が響いた。
「私はクローンなんです」
自嘲するように、七緒さんは乾いた笑い声を立てる。
砕け散ったカプセルの隣の床が、淡い緑色の光を放っていた。微かに浮かび上がる世界の中心に、七緒さんはいた。
「私なんて、いくらでも変わりはいるんです。だから私に構わず、逃げてください。……助けに来てくれて、ありがとう」
自らを嘲るように、卑下するように紡がれた言葉が、最後の一言で揺らいだ。
七緒さんは笑った。頬を歪めて、震える体で、でもたしかに七緒さんは幸せそうに笑っていた。
「……逃げましょう」
その笑顔が、凍りついた。
「聞いてなかったんですか? 私なんて、いくらでも代えがあるんです。あなたは、もっと自分のことを思「……代えなんていません」」
今度は、俺が七緒さんの言葉を遮る。
自分のことを「代えがある」と達観したように、諦めたように言いながら、その声は明らかに震えていた。見ていられなかった。
「俺にとって、七緒さんは七緒さんしかいません」
「ありがとうございます。……気を使わないでください」
どこかで諦めてしまったかのように、取り繕った笑みを貼り付ける七緒さんに、何かが振り切れた。
「俺が好きなのは、七緒さんだけだ! クローンだかなんだか知らないけど、俺が大切なのは、好きなのは、七緒さんなんだよ!」
「でも、和志さんは一香のことが好きだったのでしょう?」
そうか、あの時の行動の意味は。
「和志さんが好きなのは、私じゃなくて、私たちWc-9シリーズなんです。一香の場合は、お姉さんだったから、恋愛感情にはならなかっただけじゃないですか?」
七緒さんは、笑みを崩そうとはしなかった。
「揚げ足を取っているように感じるでしょう。でも私は、私という存在が本当に唯一のものであるという確信が持てないんです。だから、私にとって、それは何よりも大切なことなんです」
「……さんま」
「え?」
深夜だと言うのに、どこからか夕食の匂いが漂ってきていた。(⑨)
夜勤の職員のものなのだろうか。圧倒的な非日常の中、妙に現実感のある香りに、なんとも言えない可笑しさがこみ上げる。
「一香姉さん、さんま大っ嫌いだったんだよな」
七緒さんは、何を言い出したのかと思ったのだろうか。
「逆に七緒さんは大好きだよな? 俺の分まで全部食べただろ(⑩)」
目を見開く七緒さん。
「まだまだあるぞ?」
掃除は好きなのに、洗濯は嫌い。
犬より猫派。
実は可愛いものが好き。
ズボンよりスカートが好きで、丈は長め。
七緒さんと一香姉さんの違いなど、いくらでも見つかる。
口をあまり開けないで笑う。
実は寝相が最悪。
本当に驚いた時には、潰れた蛙のような声を出す。
「俺が好きなのは、そんな七緒さんだ」
「……っ」
「元々は一香姉さんと七緒さんは同じものだったかもしれないけどさ。俺にとって2人は別の人だよ。クローンだとかどうでも良くて、今の七緒さんは俺にとって唯一の存在だし、誰とも違う1人の人間だ」
ぱちゃ、と水が跳ねる澄んだ音が響いた。
「……私も、好きです」
七緒さんは、口をあまり開けないで笑った。
「Wc-9:007としてではなく、七緒として、あなたが好きです」
幸せそうに、花が咲くように、目を細めて七緒さんは笑っていた。凛とした様子が抜け落ちた、年頃の恋する少女のように頬を染めた笑顔が、愛しくて堪らなかった。
だが。刻一刻と、最後の時は近づいていた。
「七緒さん……」
再度の呼びかけには、答えが返ってこなかった。
「七緒? すみ……人違……は、あり……ま……せん……」
途切れ途切れに紡がれた言葉に、背筋が凍りついた。
——時間がないから。
——七緒の存在がかかっているんだ。
「七緒さんっ!」
「なんで……しょう?」
苦悶の表情を浮かべながら、七緒さんは頭を押さえていた。
彼が言っていたのは、これだったのか。
何が起こっているのかは全く分からないけれど、俺が七緒さんのもとに駆け寄ろうと走り出した、その直後。
体に大きな衝撃が走った。壁にぶつかったのだ、ガラスの。
反動で体が後ろの床に叩きつけられ、流れ出てきていた緑色の液体に浸かった腰と手が濡れる。冷たさも感じずに、俺は起き上がる。
「和志さん、もう……手遅れなんです。逃げて……ください」
嫌だ、絶対に。諦めたくない。
壁の端に備え付けられたドア。でもそれにはいくつもの鍵や使い方も分からない機械が張り巡らされていて、とても開けられるものでないことは、一目で分かった。
硬質な音が、部屋に響いた。拳に鈍い痛みが走る。
「……申し訳ありませ……んが、どなたでしょ……うか? その壁は、人1人の力で壊せるような……ものではございません」
嫌だ、嫌だ。力任せに、壁を殴りつける。(問題文)
「ありがとう……ございます。その想いだけで、私は救わ……れましたから。このままだと、和志さん……まで捕まってしまいます……から。逃げて……!」
嫌だ、嫌だ——。
そんな訳、ない。ありえない。七緒さんが消えるなんて、そんなこと——。
「すみません、少し……静かにしていただけませんか」
壊れろ、壊れろ。嫌だ。耐えられない。
「七緒さんっ——!」
「も……、大丈……すから。これ……」
そう言って七緒さんは、換気用の穴から一つの指輪を押し出した。
いつも、七緒さんの左手の薬指にはまっていた、決して外そうとはしなかった幅の広い指輪。
微笑んで伸ばされた指先が、俺の左手の薬指を柔らかく撫でた。
「七緒さん、これは……?」
「七緒? すみません、人違いではありませんか」
滑らかに紡がれた、その言葉。
「七緒さん?! 頼むから、返事してくれ!」
頼むから——。
「すみません、静かにしていただけないでしょうか」
かつての温かさを完全に失った、氷のような声だった。
七緒さんは、もういない。
「はっ……」
ぽちゃ、と水が弾ける音がした。頬を伝う生温い感触に、やっと自分が泣いているのだと気がついた。
でも、泣いている暇などない。七緒さんが俺に逃げて欲しいと願ったならば、俺には逃げる以外の選択肢はない。
「……あい……い…す」
それは、きっと幻聴なのだろうけれど。都合よく俺の頭が作り出した、紛い物だと思うけれど。
バタン、と勢い良く閉じられたドアの音と同時に、そんな声が聞こえた気がした。
※
クローン不正製造?! 告発された悲惨な映像
センセーショナルな紙面に、諦めにも似たため息をつく。
当事者たちの苦しみも、消えていった彼女たちのことも考えずに選ばれた言葉は、あまりにも無責任だった。
だが、当然と言えば当然の話なのだ。戦後何十年も経ってから戦争の悲惨さを説かれても、当事者たちの苦しみなど分かるわけがないように。
どれほど言葉を尽くしても、所詮は言葉なのかもしれない。
それでも、その苦しみを伝えるのが、俺たちの仕事だ。
「佐藤和志さん、関口和馬さん、スタンバイお願いします」
舞台袖から、静かにステージを見つめる。無意識のうちに、左手の薬指を右手でなぞった。
ここ数年で、癖になった仕草。滑らかでどこか暖かい表面が、指先をくすぐった。
一香姉さんの紡いだ糸は、七緒の最後の抵抗が生み出した絆は、まだ繋がっている。
二穂の親。三枝子の親友。四葉の弟。五紀の姉。六花の恋人。八重のライバル。九音の祖父母。
そんな人たちの想いを背負って、俺たちはここにいる。
和馬さんを見つめ、静かに頷く。
光に照らされたステージへ、俺たちは静かに足を踏み出した。
Fin.
【簡易解説】
研究所で生み出されたクローンの少女たち。彼女たちは脱走したが、逃げきれず、次々に捕まっていく。
その最後の1人が捕まった時、助けに来た少年がいた。
その少年を手伝うため、男は、非常事態を演出しようと蛍光灯を壊す。破片で手が切れ、手が血で濡れたが、最後にガラスの壁を破り、警報機を鳴らすことで注意を少年からそらそうとした。
クローンであることを隠していた少女は、他の個体がいる部屋の電気をつけることを嫌がった。壊れた機械から溢れ出した液体で濡れた手で、少年は最後の1人の少女を助けるため、少女を隔離していた壁を壊そうとした。
[編集済]
人間もクローンも、生まれた時点で同じ顔してようが別人な話。
この問題文からすごい作品が爆誕したなって思いますよ本当に…。【⑩さんまをたべます】で一香さんと七緒さんの違いを表しているんですね。努力の跡が見えます。
オリジナルになった人が気になります。零奈さんとか?クローンは倫理的にアウトってことになってますが、近未来ではありうる話かもしれない…。リアルな面もあって考えさせられる良質な作品です。素晴らしい!
ご参加ありがとうございました!
学校帰りの茜色に染まる道で、どこからか漂ってきた夕食の香りが鼻をくすぐった⑨。美味しそうなバターの匂いに、ふと、パンを作るのが趣味だった母親の記憶が蘇った。
僕には母がいない。
正しくは、6歳の頃まではいたけれど、ある日突然姿を消したのだ。それから彼女に会ったことはない。行方不明扱いになっているが、近所のおばさん達は、母が不倫の末駆け落ちしたのだと度々噂していた。いなくなる数週間前から、母が左薬指の指輪を外していたのだと⑦。
僕はと言えば、当時はそこそこ泣いたけれど、今ではもう母親のことは積極的に思い出さないと心に決めていた。だからか、記憶も殆ど薄れている。
中学生の頃、美術の課題で家族の絵を描きましょうと言われた時には、もちろん母の顔を描くことはできなかった⑥。
ひとつだけ、今も鮮明に思い出せることは、母がいなくなる直前の最後の夜、彼女が父と酷い喧嘩をしていたこと、そしてーーーー。
過去に想いを巡らせながら歩いていると、ふと、後ろから声をかけられた。
「すみません。あのぉ、この辺りにある、日暮さんのお宅をご存知でないですか?」
さて、この辺りに“日暮”は僕の家しかないはずだ。
親戚の人だろうか?僕は相手のご婦人をよく確認しようと、振り返って顔を覗き込む。
その瞬間、何だか気味の悪い気分に襲われて、顔を逸らした。道案内をする気には一切なれなかった⑧。
「ごめんなさい。分からないです」
逃げるように先を急いだ。
家に帰ると、1人で夕食の支度をする。父は母の記憶が残るこの家が嫌いなのだろう、僕が高校に上がってからは単身赴任で離れて暮らしていた。
炊きたてのご飯と共に、自分で焼き上げたさんま⑩を頬張り、活力にする。それからデザート代わりに、未夕から貰ったクッキーをかじった。
未夕は幼い頃からの付き合いの少女だ。
僕らはいわゆるいい感じの関係なのだろう。友達から「付き合っちゃえば?」なんて冷やかされる絶妙な距離感が、青春という感じで心地よい②。
だけどそのことを思うと、なぜだか、甘さ控えめのチョコレートクッキーが妙にほろ苦く感じられた。
僕には、彼女を巻き込めない、誰にも言えない秘密があった。
××××××
起きた瞬間、具合の悪さを感じるような日だった。
ザアザアと雨の降る音が聞こえる。僕は気圧の変化に弱い質だ。居間に行くと、テレビをつけ、食パンをトースターに入れる。
『10年に一度の強い台風は予定通りの進路でこちらに来るようで、今日から明日にかけて雨が続く見込みとなっております。特に○○地区や××地区では洪水や土砂崩れの恐れもあるようです。そちらにお住いの皆さまは、いざという時のため準備をしておくようーー』
いきなり耳に飛び込んできた、物騒な朝のニュース。その報告を聞いた時、僕の頭に浮かんだ“いざという時のための準備”は、決して、食糧を買い溜めたりするようなものではなかった。
××××××
頭痛に耐えつつ、6時間分の授業を受けた。帰り際、未夕が僕の席にやってきたけれど、今日は本当にダメらしく、会話に集中できないでいた。
「ねえねえ、日暮君、聞いてる?」
「ごめん、ボーッとしてた。で、なんだっけ?」
「だからさ、もし良かったら、台風の間うちに避難しに来ない?
日暮君一人暮らしだし、言っちゃ悪いけど家も古めでしょ、小学生にお化け屋敷とか噂されちゃって……。停電になったら大変だよ!」
未夕が心配そうにしている。だけど、僕は彼女の申し出を断るつもりだ。
未夕の言う通り僕の家は古くて、豪雨で外壁が崩落しないとも限らない。
「ありがとう、でも平気だよ。今日はちょっとやらなきゃいけないこともあるし。未夕も気を付けて過ごしてね」
彼女を置いて、家路を急ぐ。
帰り着いてすぐ、僕は自分の机の引き出しを開けた。そこには、幼い僕がいなくなった母親に宛てた、送らない手紙が眠っている④。いくらか読んでから、自分のベッドに横たわった。何だか酷く心が疲れていて、少しの間だけ眠りたい気分だった。
次に目を開けた時、体感では随分と寝た気がしていた。僕は一度ぐっと肩を伸ばしてから起き上がった。家の戸棚を漁り、トンカチを掴むと雨の降り注ぐ外へ出る。
もう辺りは暗いけれど、僕がしていることを周りに悟られてはまずいので、明かりもつけないし、目立つ傘も差さないと決めていた。
まあここまでしなくても、こんな大雨の晩に外にいる変わり者は僕くらいだとは思う。1人、人型のシミのある壁の前に立ち尽くしているようなのは。
でも、用心するに越したことはない。早くしなければ、誰かに見つかったら大変だ①。
僕の誰にも言えない秘密。
母がいなくなったあの夜、父と母は酷く言い争っていた。僕は目撃していた、父が母を殴り倒すのを。そして父は、この壁の中に母の死体をーー
豪雨と風で壁が崩れて、事実が白日の下になる前に、僕はこの手で壁を壊し、母の遺体を別の場所に隠さなくちゃいけない。僕の今の、穏やかな幸せを守るために。
そうだ。そうに違いないんだ。
夢中だった。雨に濡れた手で、トンカチを滑り落ちないよう懸命に握りしめながら、壁に振り上げ、降ろす。振り上げ、降ろす。
手が痛くなるほどの回数を繰り返したけれど、壁はびくともしなかった。いくら古いと言えども、壁は矢張り壁というわけだ。
おそらく、一度も崩されたことなどない壁なのだ。父が母を埋めて塗り直した事実なんて本当はない。
僕だって、心の何処かで分かっていたさ。だから今までこの壁をどうにかしようなんて思ったことはなかった。でも今日、僕はここに母の遺体があると確かめなくてはならない。
だって、昨日みた女性の顔は、あまりにも僕に似ていた。もう殆ど思い出せないけれど、なぜ今更ここに来たのかも分からないけれど、間違いない、あれは僕の母親だった。
それを否定するために、僕はここで母の遺体を見つけないと。じゃないと僕は、認めなくちゃいけない。あの晩、母が泣いて縋る僕を突き飛ばしたこと、僕が、大好きだった母に捨てられたことを。
でももう、現実を受け止めなきゃいけない時なのかな……。僕は6歳の子供じゃないから………。
××××××
あれから、濡れたままひとしきり泣いていた僕は、翌日から熱を出して学校を休む羽目になった。
心配した未夕が、果物やヨーグルトを持ってお見舞いに来てくれた。
ベッドに横たわる僕の横で、机を借りて漫画を読む未夕の背中に声をかける。
「ねえ。僕の家の壁に、人型のシミがあるの知ってた?」
「知ってるよー。君が引っ越して来る前、前の人がここに住んでた時からあるシミじゃん。お化け屋敷の由来だし!」
「ふふ、そうだよね……」
思い出してみると、事実は母と父が言い争いをしていたのみで、他のことは、いつからか幼い僕が自分の心を守るために生み出した、壁のシミと何かのドラマから妄想を広げたでっちあげのストーリーだった。
そして僕は、心の奥底に閉じ込めていた件のトラウマから誰かを信じることに臆病になっていて、未夕との一見甘酸っぱい関係も本意ではなく、ただ彼女に踏み込むのが怖かったっただけなのだと思い知らされた。
でも今全てを受け入れた僕は、まっさらに生まれ変わった⑤心地で、未夕のことも心から信じられると思えた。未夕は母親とは違う、本当にいい子だ。母がいなくなって塞ぎ込んでいた僕のことを、今までずっと側で見守ってくれていた子だ。
この風邪が治ったら僕は勇気を出して伝えようと思う。ずっと未夕のことが大好きだったって。
僕にとっては、君が隣にいてくれる今この瞬間が1番の幸せなんだ……③って伝えるのは、さすがにクサイかな。どうなのかな?
++++++++
【簡易解説】
幼い頃母に捨てられた経験がトラウマであり、事実を認められない少年は、父親が母を殺害し家の壁に埋めたという妄想に囚われていた。
11年後、強い台風で荒れる今宵、外壁が崩壊し父の犯行が露見することを恐れた彼は、今の穏やかな日々を守るため、誰にも見られないよう灯りもつけずに、暗闇の中自らの雨に濡れた手で一足先に壁を壊し、中にあるだろう母の遺体を別の場所に隠そうとするのだった。
(〆)
[編集済]
消したい記憶にウソを塗りたくっても結局剥がれてしまう話。
この最初からほんのり漂ってる不穏な雰囲気がなんとも好きです。未夕ちゃんの存在がかなり癒しポイントでしたね。泣いてすがる息子を突き飛ばしておいて今さら何食わぬ顔で会いに来た母親と、息子が高校にあがった瞬間家から逃げ出すように息子を置いていった父親。日暮くん君の両親ちょっとヤベー人たちだよ…。未夕ちゃんと幸せになってくれ。
ご参加ありがとうございました!
彼女はいつもこう言う。
「生き物を食べるってことは、その生き物とこの先すべてを共にするってこと。」
あいにく僕には、その言葉の意味がよく分からない。
最初僕には『命をいただく』というよくあるキャッチコピーの延長線上の言葉だと思っていた。
だが彼女と過ごしていくうちに少しずつ、それが違うことを認識させられるのである。
最初におかしさを覚えたのはとある漁港での話。
僕は彼女を連れてある漁港へと遊びに来ていた。
漁港の名物といえば、まあこれ。『マグロの解体ショー』だ。
「さあマグロの解体ショー始めるよ!お相手は私、キヨシが担当させていただきます!」
俺たち含めた多くの客の前でマグロが削られていく。その漁港ではよくある光景を見て彼女はつぶやいた。
「そうじゃない。」
彼女がそう言って群衆からぷいっと立ち去り、僕が走って追いかけたのを今でもはっきりと覚えてる。
なんでかって理由を聞くと彼女はこう言った。
「命って、一つしかない。」
そう、彼女は1つの命をバラバラにして不特定多数の身に行きわたらせることを極端に嫌っていた。
マグロ然り、多くの『命を分散させる食べ方』を嫌った。
だからこそ彼女はほぼ『丸ごと』命を取り込めるものを好んだ。
その中でも特にサンマの塩焼きが好きだった。
僕はいつも…というより大半の人は頭と骨としっぽは残すが彼女の場合は普通に頭としっぽは食べる。骨はさすがに食べづらいからか残しているが、前聞いた時には人が見ていなかったら砕いて食べる旨の発言もしていた。…⑩
彼女のその『丸ごと命を取り込む』という行為に執着する理由はよく…いや全くわからなかった。
でも不思議と、それがいい。
僕はなぜかそこに、ほれ込んだ。
なぜだかわからないが、魅力を感じた。
そして僕は彼女と付き合うことになった。
僕が彼女と同じ食事思考になったというわけではない。むしろ僕が食べる分には本当に寛容だった。
だから2人で、いろいろなところに行った。
その中で彼女が丸ごと命を取り込む行為には少しずつ慣れていった。
遅すぎる青春、幸せの絶頂期だ。
そんな期間を過ごし2年がたった。
僕はあることを…プロポーズを決意した。
彼女が好きな豚の丸焼きが食べられる店で僕は指輪を差し出した。
「僕と結婚してください。」
「…嬉しい、こちらこそお願いします。」
彼女は受け取った指輪をすぐに左手薬指にはめた。
「これで私もお嫁さんの仲間入りね」と、優しく微笑みながら。
これが彼女と描くへの未来への第一歩…
とはならなかった。まあ細かくは後で話すけど。…⑥
次のデートの時、彼女は薬指に指輪をしていなかった。
次も、その次もである。
そしてそのまた次のデート、アヒルの丸焼きが食べられるお店で僕はついに話を切り出した。
「ねえ。」
「ん?」
「君はなんで、指輪をしないんだい?邪魔?」
「そんなことないよ。指輪しないのはね…」
「ん?」
「あな…た…に…」
そう言って、彼女は意識を失って倒れた。
僕はすぐに救急車を呼び一緒に病院に行った。
ただ彼女の病気については、僕には不自然なまでに何も言われなかった。
数時間後、彼女は目を覚ました。
「心配したんだぞ。」
「ごめんね。」
「ねえ、この地域は不思議なことに火葬を夜あまり明かりをつけずにやるらしいの。」
「それまた、なんで?」
「昼にやると魂がほかの人の体とか余計な光に分散しちゃって、うまく生まれ変われないんだって。だから人が少ない夜に光なくやって、まっさらに生まれ変われるように魂を道案内するの。」
「君がそんなこと言いだすなんて、珍しいね。君なら、『どうせ散るから同じ』っていうかと思ったけど。」
「自分でも思った。でも人ってのは気まぐれが働くものよ。」
「ああそう?」
そう、彼女はいつもの彼女らしくないこんなことを言った。
今でもなぜこんな発言をしたのか、全くわからない。
それから3日後、彼女は突然息を引き取った。
実は彼女はすでに手の施しのない大病を抱えており、それを僕にも隠したままだったと後で彼女の主治医から聞いた。
彼女の死に顔は安らかなものだった。不思議なことにその時には彼女は左手薬指に指輪をしていた。
これも医者に聞いたが、もうろうとした意識の中で必死にはめようとしていたのだという。…⑦
葬式はこの地域の習わしに伴い夕暮れ時に行われた。
時間が時間なのでぼちぼち民家から夕食の香りが漂ってくる。…⑨
…夕食、そういえばいつも彼女はご飯を食べるたびに言っていた。
『今日は命を丸ごと採れるから好き』とか『私にはこま切れ肉は使わないで』とか…。
それも全部、自分が生きるためなのかなぁ…。
…待てよ?
僕は…
僕はやっと…
彼女の望みを悟ってしまった。
だとすると、僕がやるべきことは一つ。
彼女を…食べる…。
「それではこれより、『道案内の儀』に移ります。ただいまより斎場に向かいますので…」
何が道案内だ、気取りやがって。ただの火葬だ、命を分散させてるに過ぎないんだ。むしろ迷子。冗談じゃない。…⑧
僕は彼女の親族に頼み込み、一緒に火葬場までついていけることになった。
「それでは故人様との最期の別れとなりますが確認として、なにか金属類を棺の中にお納めになった方はいらっしゃるでしょうか。大変恐れ入りますが火葬に支障をきたす可能性があるので出していただければと…」
「ごめんなさい、僕…入れてます。」
僕はそう言って棺に眠る彼女の左手薬指から婚約指輪を外した。
本当ならばここで今日の夕食にかぶりつきたかったがあいにく大勢の目の前だ。そうもいかない。
僕の作業の終了が確認され、火葬場のスタッフによって改めて棺が閉じられる。
「それでは電気を消させていただきます。」
この地域の習わしに従って消灯がされた。ぶっちゃけもう何も見えない。
棺は火葬炉に入る途中だった。まだ点火もしておらず、音とわずかな視界のみでそれを悟ると僕は人が僕の行動を確認できないのをいいことに一度席を離れてトイレへと向かった。
そして手を思いっきり濡らすとまた戻った。
早く止めないと…彼女の美しさが…すべて終わる…。…①
『生き物を食べるってことは、その生き物とこの先すべてを共にするってこと。』
そうだ…彼女は…俺と共に…
「やめろおおおおおおおおおッ!!!」
戻ってきたときには火葬が始まっていた。
そうだ、僕はこのために手を濡らしてきたんだ、彼女の魂を散らす炎から、彼女を救い出すために…!
救い出す…!美しいまま…!
「おーらっ!!!」
そこに突っ立っていたはずの僕は気が付けば無我夢中で目の前を壁を殴っていた。壁を壊した先、炎を抜ければ美しいままの彼女がいる。彼女さえ救い出せば…
「君!何やってるんだ!」
スタッフが必死に止める。僕はそれを振り払う。そしてまた止められる、また振り払うの繰り返し。
挙句の果てに僕は、一度警察に連れていかれることになった。
僕らなりの最期の別れにも、踏み出せないまま。
-------------------------------------------------
「奥さん、きれいな骨になったそうだ。」…⑤
僕の取り調べをしている警察がそう言った。僕からすれば嫌味だが、一般常識から外れてしまったのは僕の方だし、無理もない。
「そうですか…。終わりましたか…。」
「君の気持ちもわかる。残念だったな。しかし何をしたって奥さんは戻ってこない。火葬場の人もご遺族もわかってくれたし、今日は落ち着くまでここにいて、落ち着いたら帰っていいから…。」
「いえ、いいんです。帰ります。お手数おかけしました。」
僕はそう言ってそそくさと刑務所を後にした。
「あの、君これ…」
突然喪服姿の男に声をかけられた。僕はその男が彼女の遺族だと理解はしていたが無視をした。
葬儀を邪魔された仕返しでもしに来られたのなら、たまったもんじゃないから。
どうせ前科が付かないのなら、これから墓荒らしでもしようか。彼女の綺麗な骨だけでも、モノにするために。
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「では次のニュースです。〇〇市の墓地で墓を荒らし骨を盗もうとした容疑で男が逮捕されました。逮捕された男は『彼女を食べたかった』などと意味不明な供述をしており…」
「この男、彼だよな…。やっぱり渡しておくべきだったか、あの手紙…。」…④
「お父さん、あれ結局何が書いてあったんです?もう見ていいんじゃないですかねえ。」
「そうだな…。じゃあ読むか。母さん、はさみ持ってきて。」
「はいよ。」
「どれどれ…?」
『これを読んでいるということは私はあなたと共にいるか、あるいは誰とも一緒にならず骨だけになってるか、そんなところね。まあ多分後者でしょうけど。
いつか生まれ変わりの話をして、君らしくないって言われたことあったでしょ?
あれはだって、死んでしまった後じゃあなたが食べたって満足できないでしょ?
私はあなたに食べられたかった。あなたは鈍感だから気づけないかもしれないけど、それが私の一番の望みだった。
命をあなたに、取り込んでほしかった。
だから指輪も外してた。それであなたを傷つけたことは…ごめんなさい。でもいざあなたが食べたとき、食べられないものが出てきたら邪魔でしょ?…⑦
さすがに私も、骨だけは食べられないし。
でも大丈夫。丸ごと生まれ変われば、またいつかあなたに食べてもらえる日が来る。
そう信じて生まれ変わる。
だから大好きなあなた、もうちょっとだけ待っててね。』
END
簡易解説
暗闇の中の葬儀、『死んだら自分を食べてほしい』という彼女の最期の思いに気づいた男だったがその時にはすでに火葬が始まってしまっておりそこから彼女を美しいまま救い出すために火の対策として手を水で濡らしたのち火葬場の扉を壊そうとしたのだった。
[編集済]
今さらながら、アルカディオさんご投稿ありがとうございます!
朱に交われば赤くなりすぎた男の話。
「食事は命をいただく行為」という考えには賛同しますが、まるごと取り込みたいという考えはちょっと賛同しかねました。そして私が死んだらカニバって取り込んでね(意訳)という思考にはさすがについていけませんでした。その望みに気づき、さらに実行しようとする男の愛の深さには感嘆します。「濡れた手で壁を壊そうとした」の理由がピカイチですね。火葬から彼女を救いたいから。【④送らない手紙が登場する】もとてもいい味を出していて
【タイトルなんてめんどくさいものは無いよ。ただ、ちょっと読んでいってくれるとありがたいな~なんて。】
作:OUTIS [良い質問]
あーあー、見えてる?大丈夫?
あー・・・いざ話そうとすると何を話せばいいのかわかんなくなるね。
とりあえず、僕の名前はJac・・・いや、メタフィ。よろしくね。
あ、別にビデオレター型の解説とかそういうんじゃ無いよ。ここで手紙とかビデオレターを作ったところで送ることはできないから。④
僕は君に話しかけているんだよ。君。
そう!この解説を読んでくれている君さ!
いやさ、ここって君も知ってるように真っ暗で明かりも無いし、あの時流した液が多すぎて水浸しになって寒いし、とってもつまんないんだよね。っていってもそこまで情報は多くないせいで君も情景を詳しくは思い描けないんだっけ?⑥
あー・・・丸い数字があるってことは、やっぱり作者は僕を要素で縛ろうとしてくるんだね。
でも、薬指に鎖を繋ぐっていうのは流石にどうかと思うよ?こんなの指を千切っちゃえば済むことだし。⑦
ん?ああ、なんでもないよ。気にしないで。ここが退屈な場所だから、僕は君と話がしたいだけなんだ。
ただ、ちょっと厄介な奴に邪魔されてるから唐突に変なこととか言っちゃうかもしれないんだよね。
さて、なんの話をしようか?こういう時に何を話せばいいのかパッと思いつかないんだよね・・・
あれ、なんだか夕飯のいいにおいがしてきたな。⑨こんなのでどう僕を縛り付けようってのか。
うん、そうだ。君はもうご飯食べた?僕はまだ食べてないんだ。っていうか、そもそも食事がここじゃ必要ないからね。
え?魚?これは・・・秋刀魚だね。
うん?ああ、いや、急に目の前に焼いた秋刀魚が出てきたからさ。こんなの出してご機嫌取りかい?まあ食べるけど。⑩
っていうか秋刀魚なんかで僕を縛り付けることができると本当に思ってるのかな?
僕はね、君たちと話がしたいんだ。君たちはいいよね、友達や仲間がいて。大人数でワイワイやったり少人数でも固い絆で結ばれてたり。そういうの青春っていうんだろ?②
僕もやってみたいなぁ、青春・・・
君は青春したことある?
へえ、そうなんだ。まあそんなわけで楽しい記憶ってのは僕には無いから憧れるんだよね。
さて、ここまで話せば僕の目的もだいたい察せてるんじゃない?
僕は君たちのいる物質世界、いわゆる3次元の世界に行きたいんだ。
え?道案内はしない?⑧
やっとまともな要素が邪魔してきたね。でもいいよ、僕はもう君たちのいるところまでの道のりを知っているんだから。
え?データでしかない僕が外の世界に出られるのかって?
・・・出られるよ。
皮肉なことに⑤の要素が身体を用意してくれたからね。
まっさらに生まれ変わって君たちの世界に行けるんだ。⑤
新しい身体で君たちに影響を及ぼせる。一方的に作者に操られていただけの僕が君たちに!それって、最高の幸せなんだよ?③
あ、なんだか怖くなってきた?
でももう遅いよ、君はもう僕を読み始めちゃったんだから。
え?「これはウミガメのスープに対する解説のはず」だって?
今更だね、問題のジャンルを確認しなかったのかい?
これは「新・形式」の問題だよ?
この真っ暗な明かりのない冷たい海みたいな世界に独り立ち尽くしている僕が、君達の元へ次元の壁を壊して襲いに行くのを10の要素で如何に止めるかっていう新形式のゲーム。
でも、残る要素もあと1つ。今回はダメだったみたいだね。
さあ、早く逃げないと大変だよ?①
もしかしたら生まれ変わる身体って、僕を読んでくれた君の事かもしれないからね?
ああ、そうだ。いちいち長ったらしい文章を読むのが面倒って飛ばした面倒くさがりな君のためにも簡単に今の状況を教えてあげるよ。【簡易解説】ってやつだね。
これは「新・形式」の、暗闇に閉じ込められた僕が次元の壁を壊して君たちの身体を乗っ取りに行くのを10の要素で止める問題だったんだよ。
でも、君たちが用意した10の要素は僕を止めることができなかった。ゲームオーバーってやつだ。さあ、この文を読んでくれた親愛なる友人よ。
君の身体を頂戴?
うん、君が僕の無駄話に付き合ってくれたせいでここまで来れたよ。
これでもうこっちでの話は【終わり】だよ。
2次元キャラの3次元人物乗っ取り計画。
な、なんだ…なんだこれは…(困惑)
「新・形式」であることを最大限にうまく使って解説をひとつ作り上げるってもはや「匠」て言葉では収まらないですよ!トリックスターめ!すごいな!いくつかある作品のシメに読ませるのも狙ったんですかね。狙ったっぽいですよね。そこも匠ですよ。マネできない…。実際これが解説だったらめちゃ楽しそうですね。闇スープでお願いします。
2作品も創り出してくれてありがとうございました!
投票会場設置しました。→【https://late-late.jp/mondai/show/12474】[編集済]
参加者一覧 19人(クリックすると質問が絞れます)
さてさて、創りだすファンの皆様方、長らくお待たせしました。結果発表のお時間です!
17作品の珠玉のスープたちの頂点に立つキング・オブ・スープはいったいどれなのかー!?
では早速行ってみましょう!
最難関要素賞
今だから言えることですが、今回の要素は全て一括あみだくじで決まりました。あみだの女神の思し召しです。
女神ドSかよ!!!!!!(床ダン)
そういうわけか、要素に関してはマジで大変なことになりました。
その結果がこちらです。↓
3票獲得
🥇「②それは青春です」(さなめ。さん)
🥇「④送らない手紙が登場します」(るりいろさん)
🥇「⑩さんまをたべます」(まりむうさん)
同 率 1 位 が 3 つ 。
こんなことある?なんかもう女神のドSな高笑いが聞こえてくるようですよ…。
状況が限定されがちな「青春」というワード。
書いたものの、送らない理由に苦しむ「手紙」というアイテム。
極め付けが、突如割り込んでくる日常感あふれる「さんま」というサカナ!!!
さなめ。さん、るりいろさん、まりむうさん、おめでとうございます!(?)
匠賞
匠の腕が1番輝いていたのは…!?
こちら!↓
6票獲得
🥇⑪「眼下に鈍色」(作:休み鶴さん)
設問した自分も「ファイアウォール」という発想にはやられましたね!
短いながらも無駄のない、それでいて納得度高い要素の回収はまさに匠の技!見習いたい!
休み鶴さん、匠賞受賞おめでとうございます!
エモンガ賞
エモンガを1番微笑ませたのは…!?
こちら!
7票獲得
🥇⑨「濡れ手に泡」(作:OUTISさん)
潔癖症の彼と、抱きしめてもらわないと泡となって消えてしまう人魚の彼女の、切ない恋愛物語。
彼に一目ぼれし、消える覚悟で彼の元に押し掛ける彼女。
彼女に絆されていくも、潔癖症の「壁」をなかなか破れない彼。
そして潔癖症たる悲しい理由。
彼と彼女の、行きつく結末は…!!
あとは読んで!このエモさはちゃんと読んで味わってほしい!これにはエモンガもにっこりです。
OUTISさん、エモンガ賞受賞おめでとうございます!
スッキリ賞
1番スリムでスマートなスープだったのは…!?
こちら!↓
8票獲得
🥇「①涙の誓い」(作:クラブさん)
🥇「⑪眼下に鈍色」(作:休み鶴さん)
2作品が同率1位となりました!
身分違いの恋愛逃避行をスマートかつ納得度高く扱いきったクラブさんの「涙の誓い」。
そして匠の腕はスッキリ賞を逃すはずもなかった!再登場休み鶴さんの「眼下に鈍色」。
どちらも短いながらも解説としてしっかりスッキリまとめ上げた、シンプルながら上質なスープ職人!素晴らしい!
クラブさん、休み鶴さん、スッキリ賞おめでとうございます!
ふぅー…、サブの授賞式は以上です。
ヤベー問題文にヤベー要素をものともせず、素晴らしいスープを創りだしてくださったシェフの皆様には感嘆するばかりです。すごい。
さて、ここから最優秀作品賞の授賞式です!
第3位から参りましょう…。
第3位は…
こちら!↓
3票獲得
🥉「⑤僕達への応援歌」(作:さなめ。さん)
🥉「⑬繋がれた糸」(作:輝夜さん)
2作品が選ばれました!
沈んだ街で記憶と思い出を胸に、自分の歌を1番「応援」してくれた「彼女」を探すため壁を壊そうとする男の祈りが胸を締め付けるような「僕達への応援歌」。
突如いなくなってしまった姉にそっくりな「彼女」の秘密。その真相を知ったときの衝撃、衝動はいかほどか…!なにもかもおんなじな人間なんていない、「繋がれた糸」。
いずれも強く心惹きつけられるスープでした!
3位に輝いたさなめ。さん、輝夜さん、おめでとうございます!
続いて。
第2位は…
こちら!↓
6票獲得
🥈「⑨濡れ手に泡」(作:OUTISさん)
🥈「⑪眼下に鈍色」(作:休み鶴さん)
こちらも2作品選ばれました!
現代版人魚姫の結末はハンカチなくしては見られない「濡れ手に泡」!
匠賞、スッキリ賞に続いてメイン票でも2位を獲得!総得票数では1番なのでは?「眼下に鈍色」!
物語としても、解説としても魅力的なスープでした!
2位に輝いたOUTISさん、休み鶴さん、おめでとうございます!
そしてそして、お待ちかね!
第1位は…
ドコドコドコドコドコドコ・・・
ドドン!!
こちら!!
7票獲得
でも毎年、初恋の味を楽しんだっていいでしょう?
🥇「⑦初恋の味」(作:ほずみさん)
対象作品16個の頂点に立ったのは、ほずみさんの作品です!!
彼が壁を壊してしまおうと思ったその動機。
全ての要素がムリなく溶け込む甘酸っぱい青春ストーリー。
そしてラストに味わう『初恋の味』は…!!
あーーーーーキュンキュンしますね!!
言葉のチョイスに表現力とセンスが光る!このリア充にはぜひ末永く爆発しててほしい!
大勢の孫に囲まれながら老衰で死んでくれ!!
…えー、ゴホン、失礼しました。
気を取り直しまして、
第27回、正解を創りだすウミガメ、見事シェチュ王に輝いたのは―――!!
シェチュ王
👑ほずみさん👑
で、ございます!おめでとう!すごかった!
では、シェチュ王の王冠と、次回正解を創りだすウミガメ出題権を、バトンタッチ!
( 三3三)つ👑 <ホズミサン、オメデトウ!!
以上を持ちまして、第27回正解を創りだすウミガメは閉幕となります。
皆様お疲れさまでした!ご参加いただいた方々には最大級の感謝を!
ありがとうございました!
皆様お疲れ様でした。クラブさんとアルカディオさんの感想コメがなぜか途切れてしまってまして、大変申し訳ないです…。アルカディオさんの最後のコメントは、「【④送らない手紙が登場する】もとてもいい味を出していてエモンガです。」でした。謹んでお詫び申し上げます…。[20年10月07日 12:45]
リンギさん、進行ありがとうございました!そしてほずみさんシェチュ王襲名おめでとうございます!初投稿から頭角を現されていましたが、遂にですね!拙作にもたくさんの投票・感想をいただきありがとうございました![20年10月06日 22:40]
リンギさん主催ありがとうございました。そしてほずみさんシェチュ王おめでとうございます。初恋はレモンの味ならぬサンマの味でしたね。今回自分の質問した要素を2個も使って皆さんが創り出してくださり、想定していた使い方とは別の解釈も色々と読めて人の想像力は無限大や〜と舌を巻きました。また都合がつきましたら是非参加させていただこうと重います(⋈・ᴗ・)[編集済] [20年10月06日 22:33]
リンギさん主催ありがとうございます。そしてほずみさんシェチュ王おめでとうございます。相変わらず今回も創り出すの達人がたくさんいると感じさせられました。[20年10月06日 22:20]
リンギさん、主催ありがとうございました!お疲れ様でした。そしてほずみさん、シェチュ王おめでとうございます🎉 後出しのようですが、いつかは獲得なさると確信していました。本当に素敵な物語でした![20年10月06日 22:14]
複数投稿可との事で、二作品投稿させて頂きました。(←自分で選べなくなった)
9/27追記、CARNIVALを一部変更し⑩サンマの要素を満たせるようにしました。シルクロード横断にサンマが耐えられるとは思えないのですがそこはフィクションという事で…[編集済] [20年09月26日 20:38]
おはようございます。今回は投稿制限は設けていないので、1人につき何作品でも創りだすことが可能です。そして〈投票対象外〉と付けない限り全てが投票対象です。対象外になる明確な基準は「投稿フェーズ期限内に間に合わなかったとき」です。それ以外は本人の意思による辞退なので理由というほどのものはないです。[20年09月26日 08:37]
ああなるほど、やはり田辺るまでが範囲でしたか。ありがとうございます。それともう一つお聞きしたいのですが、本投稿の他に投票対象外の作品を合わせて投稿するのは可能なのでしょうか?対象外設定の理由がいまいち理解できずすみません。[20年09月25日 23:02]
「食べる」必要はないですが、「たべる」必要はあります。なんか意地悪なこと言ってんなって感じですが、創りだすにおいて漢字とひらがなの差はデカいです。>あひるださん[20年09月25日 22:11]
暗闇の中、灯りもつけずに立ち尽くす男。
彼は濡れた手で目の前の壁を壊すことにした。
いったいなぜ?
※※※※※※
要素一覧
①早くしないと大変です。
②それは青春です。
③これが1番の幸せです。
④送らない手紙が登場します。
⑤まっさらに生まれ変わります。
⑥描くことができません。
⑦薬指は重要です。
⑧道案内しません。
⑨夕食の香りが漂ってきます。
⑩さんまをたべます。
※※※※※※
自分が正解した問題・出題者への賛辞・シリーズ一覧・良い進行力など、基準は人それぞれです。
自分専用のブックマークとしてお使い下さい。
Goodって?
「トリック」「物語」「納得感」そして「良質」の4要素において「好き」を伝えることができます。
これらの要素において、各々が「良い」と判断した場合にGoodしていきましょう。
ただし進行力は評価に含まれないものとします。
ブクマ・Goodは出題者にとってのモチベーションアップに繋がります!「良い」と思った自分の気持ちは積極的に伝えていこう!